蔦重が逆境で咲かせた花は「美人絵」だけではなかった
「逆境で咲く花は、すべての花の中でもっとも珍しくて美しい」
ディズニー創業者のウォルト・ディズニーが残した言葉だ。
「絶対に失敗する」と評論家から酷評されながらも、1955年7月17日にオープンしたディズニーランドは初日から大混乱だったらしい。予想をはるかに上回る人数が詰めかける中、アトラクションの故障が相次ぎ、炎天下にもかかわらず飲食物はすぐに品切れに。午後にはさらに気温が上がり、舗装したてのアスファルトが溶け出し、ハイヒールが突き刺さって脱げたゲストもいたという。
散々なスタートとなったが、そこからウォルトは完璧な「夢と魔法の国」を作り上げるため、すさまじいほどのこだわりを追求。絶大な人気を誇るテーマパークへと生まれ変わらせている。冒頭の言葉通りに、逆境から大輪の花を咲かせたといえよう。
蔦重もまたピンチを飛躍につなげている。
幕府から「身上半減」の処罰が下されて、財産を半分にされても、意気消沈することなく、美人絵で活路を見出す。従来のような全身図ではなく、上半身をアップにする「美人大首絵」を喜多川歌麿に描かせて、大ヒットとなった。


















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