重い財産刑で絶体絶命も新ジャンル開拓 大河「べらぼう」蔦重にもあてはまる名経営者に共通する「逆境力」とは

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(写真:hellohello / PIXTA)
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NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第43回は、幕府から「身上半減」の刑を受けた蔦重のその後について解説する。
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財産を失ってからが実業者の腕の見せ所

事業を起こしてビジネスを行っている限りは、何もかもが順調にいくことはあり得ない。そのため、困難にぶつかったときに、次の一手をどう打つかが肝心だ。マイナスの状況をも逆手にとって、いかに飛躍につなげるか。そんな経営者の「逆境力」が組織の行く末を決める、といっても過言ではないだろう。

日清食品の創業者・安藤百福の場合は22歳で起業して、繊維業、住宅販売業、精密機械・航空機関係、栄養剤の開発、食品産業と多岐にわたる事業を行って成功を収めるも、請われて理事長を引き受けた信用組合が破綻したことで、人生は急降下。預金集めに加担した責任を問われ、財産をすべて失ってしまった。

だが、それでも百福は絶望することはなかった。むしろ、ゼロからスタートするよい機会だととらえて、以前からやりたかった事業に挑戦することを決意。それが「ラーメン作り」であり、インスタントラーメンやカップラーメンの開発へとつながっていった。百福は「順調な時ほど危機が訪れる」という言葉を残しているが、逆もまたしかりだと、自ら体現することとなった。

正垣泰彦は東京理科大学在学中に、レストラン「サイゼリヤ」を開業。今でこそ国内で1000店舗を超えるチェーン店だが、起業時は36席からのスタートだった。しかも、そこからの道のりも平坦ではなく、開業早々に店内でのケンカによってストーブが倒れて店が全焼してしまう。開店からたった7カ月後の惨事に、正垣は大きなショックを受けた。

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