東京都中央区、銀座のそばに古い街並みが色濃く残る一角に建つ、築50年以上のマンション。ワンルーム・25m²、たった6畳の限られた空間で、ミドルシニアの夫婦が預かり犬とともに静かに暮らしています。
25㎡というのは、1人暮らしに最低限必要とされる居住面積です(国土交通省「住生活基本計画における居住面積水準」)。そこに2人で暮らしているということは、当然ながら狭い。油断するとあっという間に、部屋がモノであふれてしまいます。
限られた空間で暮らしているうちに、「もっと減らしたほうが身軽になるはずだ」と考えるようになり、気づけばモノを減らすことばかりに意識が向いていました。快適に暮らすための「手段」だったはずが、いつしか「目的」にすり替わっていたのです。
今回のエッセイでは、「モノを減らすこと」に縛られすぎていた暮らしから、自分にとっての「ちょうどいい」を取り戻していった経験について書きたいと思います。
モノを減らすことが「正義」になっていた私
たとえば柔軟剤。洗濯は汚れを落とすことが目的なので、なくたって困らない。たとえば入浴剤。入れずに湯船につかっても、何ら支障はありません。どちらも使わなければ使わないで、日常は問題なくまわります。



















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