「ある寒い朝、下級の奉公人に…」異例の出世を遂げた田沼意次、その理由がわかる逸話と現代人にも通じる遺訓7カ条
意次は、人と違う行儀・作法をして世間から変人扱いされることも戒めていますが、それもまた尋常でない出世をしてきた意次が培ってきた世間知と言えるのかもしれません。
意次の家来への情けを「心から家来のことを思いやっているのではない」「裏には悪い魂胆があって、それを隠すためにやっているのだ」と非難する向きもありますが、果たしてそうでしょうか。
前述の寒い朝の逸話にしても、悪い魂胆というよりは、差し入れをしてお供の人々に気持ちよく働いてもらおうという想いからのものでしょう。
意次は家来の労をねぎらい、すぐに褒美を与えたといいますが、これは意次が人心操縦術に長けていたことを示すものであって、それほど非難されるようなものではないでしょう。
賢くて世間知に長けた人物像
意次は同時代人から「はつめい」(発明)と評されました。「はつめい」とは賢いという意味です。先に登場した大岡忠光も主殿頭(意次)を「発明だが、年若」と評価しています。また当時の落書にも「はつめいは 人に田沼ぬ 智恵袋 名も徳もとれ 主殿も家頼も」というものがありました。意次は発明の人だというのです。
確かに意次は賢い人であったでしょうが、前掲の遺訓などを見ていたら、世間知に長けた人物とも言えるかもしれません。意次の言動から、現代人が学べることは多々あるでしょう。
(主要参考・引用文献一覧)
・藤田覚『田沼意次』(ミネルヴァ書房、2007)
・鈴木由紀子『開国前夜 田沼時代の輝き』(新潮社、2010)
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