制度創設は「教育の質向上」への戦略的取り組み

「市費負担教員制度」を創設した背景について、鎌倉市教育委員会次長(学びみらい課)の小原聡真氏は、「単に教員が不足しているから市費で採用しようというものではなく、教育の質向上を目指すための戦略的な取り組みです」と強調する。

同市が2025年4月に策定した「鎌倉市教育大綱」では、「“炭火”のごとく誰もが学びの火を灯し続け、生涯にわたり心豊かに生きられるまち鎌倉」をビジョンに掲げ、「学習者中心の学び」の実現を目指している。

この教育大綱で重視されているのは、「これまでの『何を教えるか』という視点から、『子どもたちがどう学んでいくのか』という視点へと転換し、そのための環境整備を行うこと」だと小原氏は説明する。

ビジョンの実現につながる施策として、市教委では、どこでも学べるようLTE対応のICT端末を導入するほか、教員が外部の人材・組織と連携して探究学習などを行う際にかかる費用を寄付金で募る「鎌倉スクールコラボファンド」の設立などを進めてきた。

さらに、こうした環境を最大限に生かす人材の確保が必要との観点から、市費負担での教員採用に踏み切ったという。市費で非常勤教員やサポートスタッフを採用する自治体は多いが、政令指定都市以外の自治体が正規教員を採用する例は全国的にも珍しい。

「基本的に、県費負担教職員制度の下では正規教員の採用権限を持つのは県や政令市のみで、中核市ですらない鎌倉市が独自に教員を採用することは想定されていません。しかし、学校現場ではほとんどの教員が学級担任と他業務を兼務しており、授業改善や単元設計などを組織的に進めることに手が回らないのが実情です。

こうした中では、やはり学校の設置者である教委が採用に責任を持つことが、学習者中心の学びに向けた研究・研修体制の整備や、子どもたち1人ひとりを包摂していく校内の支援体制の強化につながると考えました。外部から人材を迎え入れることで、学校組織の多様性を高める狙いもあり、新たに条例を制定して市で採用をすることになったのです」

今回の応募資格は、教員免許を保有し、直近10年間で2年以上の学校勤務経験があること。小・中学校において学級担任を担える人材のほか、全国的に教員免許保有者が少ない中学校の技術科・美術科の授業を担える人材も募集の対象とした。後者については「現在の学習指導要領で重要度が増しているSTEAM教育を推進するためであり、教科の専門性を重視した結果」だと小原氏は説明する。

求める人物像としては、「学習者中心の学び」の理念を実現できる指導力や、鎌倉の文化・自然・社会資本を存分に生かした学びを実践できる単元構想力を有することに加え、置かれた環境・文化に応じて自らのやり方を変えることができる素直さやコミュニケーション能力なども重視する。また、公務員としての高い倫理観があるかどうかも、面接の機会や日本版DBSなどを活用しながら丁寧に見ていくという。

今回の採用で求める「資質・能力」についての5つの観点
(写真:鎌倉市教育委員会提供)

なぜ「3年の任期付き」にしたのか?

同市の2026年度予算は今回の採用人数を基に調整する予定だが、採用に伴う費用については、「一般論として中途採用は1名当たり約750万円必要だとされており、今回の採用では10名程度、将来的に最大で30名程度雇用することを想定して調整を図る」(小原氏)とのことで、総額2億円を超えるプロジェクトとなる。

小原聡真(おはら・そうま)
鎌倉市教育委員会次長(学びみらい課担当)
新卒で文部科学省へ入省。学習指導要領(外国語)改訂や教育予算確保等を担当したほか、北海道の小学校で1年間の勤務経験も。その後、デロイトトーマツコンサルティングへ入社し、教育ビジネスチームの立ち上げに取り組み、経産省「未来の教室」事務局の運営等に従事。2024年から現職。鎌倉市での教育ビジョン策定や、寄付金を活用した探究学習支援の制度設計を担当
(写真:鎌倉市教育委員会提供)

市費負担教員の給与・待遇は神奈川県の正規の県費負担教員と同水準で、任期中も退職金の対象期間となる。また、地方公共団体の業務に従事する「一般任期付職員」の位置付けとなり、任期は3年で最長5年まで更新可能だ。任期を設定した理由を、小原氏は次のように説明する。

「ここは私たちも議論した部分ですが、近年は安定志向の雇用形態にこだわらない教員の方も増えています。今回応募される方は柔軟なキャリア志向の方が多いのではないかという仮説に基づき、さまざまな自治体で経験を積みたいというニーズに応えるために、3年の任期を設けました。

募集期間中にいただいた問い合わせでは、『任期付きなんですね』と落胆される声もありましたが、その一方で『正規雇用、かつ柔軟なキャリアにも対応してもらえるのはありがたい』との声もありました」

任期中に県費負担教員の採用試験を受けることもでき、直近の4年間に通算で1年以上の教員経験があれば、1次の筆記試験のうち、一般教養・教職専門試験は免除となる。

県費負担教員の採用試験に合格した場合、「配属先は県が決定するため鎌倉市への配属の確約はできませんが、臨時的任用教員が正規教員として採用された場合は当該自治体の配属となるケースが多く、それと同様に適切に取り扱ってもらえるよう神奈川県と調整したい」と小原氏は話す。

年齢も幅広く多様なキャリアの教員が応募

初年度となった2025年度の採用選考では、10名程度の採用予定人数に対し、123名の応募があった。公募にあたって連携した民間企業のエン「ソーシャルインパクト採用プロジェクト」リーダーの中林辰馬氏によると、「ほかの自治体における教員の応募実績と比べても反響が大きい」という。

「関東圏を中心としながらも、東北や中部地方など全国から積極的に応募いただいている」と、小原氏。公立・私立校の現職教員や、教職を離れて民間企業に勤めていた人が教員に戻りたいと応募したケースのほか、海外の日本人学校で経験を積んだ教員の応募も複数あったという。初任から3~4年程度の若手教員から、管理職経験者や教育委員会での勤務経験のあるベテラン教員まで、応募者の年齢層は幅広い。

3年という任期付きでありながら、多くの応募者が集まった理由について、小原氏はいくつかの要因を挙げて分析する。

「まず、県費負担教職員制度の下ではどこに配属されるかがわからないのに対し、『必ず鎌倉市内の学校に配属される』という点は魅力だったのではないでしょうか。また、『鎌倉スクールコラボファンド』やLTE対応のICT環境といった、本市の恵まれた教育環境で働きたいと思ってくださった方も多いのかもしれません。さらに、近年は若い世代の教員の方々を中心に『成長したい』というニーズが強く、今回の募集はそのような挑戦志向を持つ方に響いたのではないかという手応えがあります」

また、エンが運営する採用支援サービスを通じて公募を行ったことも、応募者増の一因とみられる。同社では、メインターゲット層が異なる3種類の転職サイトでの求人掲載を行うとともに、SNS広告や同社のSNSアカウントでの拡散、プレスリリースの発信などを実施。こうした広報戦略により、公募情報がより多くの教員にリーチした可能性が考えられる。

「質」重視、「伴走型の教育行政職」も採用予定

今回の応募は8月末で締め切られ、9月から11月にかけて選考を行い、11月下旬から12月上旬に合格者を決定する予定だ。選考は、「書類選考・ビデオ面接・対面での個人面接」の3段階で実施する。

採用された教員の勤務は2026年4月からを予定している。応募者のキャリアが多様であることから、採用後の研修は一律では行わず、「個別の状況に応じて丁寧にコミュニケーションを取り、スムーズに迎えられるよう努めていきたい」と小原氏は話す。

市費負担教員制度に対しては、学校現場の期待も大きい。小原氏が市教育長の高橋洋平氏と共に市内の全小中学校26校を回って教育大綱のビジョンを伝える時間を設けた際、市費負担教員の採用についても説明をしたところ、現場の教員からは驚きとともに、「しっかり戦力になる先生を採用してほしい」との声が多く寄せられたという。

「市教委のあり方を『管理型』から『伴走型』へと変えたいと考えており、市費負担教員の採用と並行して、学校に対して伴走型の支援ができる教育行政職の採用にも力を入れていく予定です」

市費負担教員制度では、今後数年かけて最大で30名程度の採用を見込んでいるが、「今回の採用は学校としての組織的な成長戦略のための採用なので、人数の枠を埋めることを優先するのではなく、あくまでも質にこだわっていきたい」と小原氏は話す。

市費で正規教員を採用しようという鎌倉市の取り組みは、教育の質の向上に真正面から向き合う、まさに「本気度」を示す挑戦だと言えるだろう。この取り組みが同市の教育にどのような変化をもたらすことになるのか、今後の動向が注目される。

(文:安永美穂、注記のない写真:エンのプロジェクトサイトより)