「ある寒い朝、下級の奉公人に…」異例の出世を遂げた田沼意次、その理由がわかる逸話と現代人にも通じる遺訓7カ条

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意次は「家来たちに情けをかけるという点では、比べられる者がない」(『翁草』)と評されましたが、それを示す逸話が残っています。

ある寒い朝、意次は江戸城に登城しようとしていました。登城に際しては、駕籠を担ぐ者・槍を持つ者などなど多くの者がお供をします。すぐに出発するかと思いきや、意次は供の頭を呼んでこう言うではありませんか。

「今朝はとても寒いので、お供の行列につく下級の奉公人に、行った先で不作法がないようにと申し付けよ。その上で、酒を振る舞い、もし酒が飲めない者がいたら温かい食べ物を与えよ。寒さを凌がせるのだ」と。

意次はその間は待っているということで、屋敷の奥に戻っていったとのこと。差し入れをしたのです。

この逸話から、意次は気遣いの人ということができるでしょう。意次は子孫に対し、7カ条の遺訓を書き残していますが、そこからも意次の人柄、指導者観というものが浮かび上がってきます。

田沼意次が書き残した7カ条の遺訓

その第1条には「忠節」を忘却してはならないということが書かれています。なぜなら、田沼家は将軍(家重・家治父子)から比類のない御恩を蒙ったからでした。第1条の文からも、意次の律儀さが窺えます。

第2条は、親孝行と親戚とねんごろにすること。

第3条は、友人や同僚などとは裏表なく接すること。目下の人々にも情けをかけよと説いています。

第4条では、家中の者を憐れみ、賞罰に贔屓があってはならないと主張しています。

第5条は武芸を怠るなということ。

第6条は権門(権勢がある家柄)には無礼がなきよう気を配れ。公事(公務)には軽く見えるようなことでも念を入れよ。

第7条は勝手元不如意(家計が苦しく金がないこと)ではいけないということが述べられています。

以上が意次の遺訓です。意次の人情というものがよくわかりますが、同時に彼の慎重さというものが窺えます。権門には無礼なきよう気を配れや、公事には念を入れよ(第6条)というところに意次の慎重さと言いますか繊細さが表れているように思います。

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