ホリエモン《東洋大Fラン騒動》に垣間見えた「学歴厨」が量産される日本社会の根深すぎる問題

伊東市の田久保市長の「学歴詐称問題」をめぐって、X(旧Twitter)に「Fラン私大の学歴詐称なんかどーでもいいだろ」と投稿したホリエモンこと堀江貴文氏(写真:時事)
静岡県伊東市の田久保眞紀市長をめぐる「学歴詐称問題」は、収まるどころか、今もなお混乱が続いている。その余波は田久保氏個人にとどまらなかった。皮肉にも、火の粉が東洋大学にまで飛んできた。SNSで炎上したのは、東洋大学を的にした偏差値論争だった。
近年、偏差値ばかりが近視眼的に注目され、教育・研究内容はもちろん、建学の精神を核とする大学独自の「らしさ」はほとんど顧みられることがない。すべてとは言えないが、受験生や保護者、高校の進路指導教員だけでなく、大学の在学生や卒業生、教職員までもが無関心なようである。創立100年以上の伝統校であっても、創立者が定めた建学の精神や大学の歴史を知らない人は少なくない。
そこで改めて注目したいのが、各大学の「らしさ」だ。「大学全入時代」が現実のものとなり、有名大学に受験生がますます集中する一方で、多くの大学が学生確保に苦しみ、淘汰されていくという二極化が進む中で、「らしさ」は大学の存続をかけた経営戦略の根幹であり、受験生にとっては大学選び、学生の人間形成、卒業後の人生のあり方にも深く関わる重要な要素になるだろう。
例えば、早稲田、慶應、同志社といった伝統私学は、創立者の建学精神に裏付けられた「らしさ」が浮き彫りになっている。一方、東洋大学は都心回帰で志願者数を伸ばすも、「らしさ」はもう一つ鮮明でない。本稿では、こうした事例を通して、大学が有する「見えざる資産」である「らしさ」とその効用について、前中後編の3回に分けて考える。
中編:《進取》の早稲田・《独立自尊》の慶應・《良心》の同志社、伝統私学が「らしさ」を持つに至った歴史的背景
後編:伊東市・田久保市長に聞かせたい「東洋大学」創設者の"金言"、建学の理念と市長の振る舞いに隔たりはないか
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ホリエモン「え?Fランじゃないの??」
5月の伊東市長選で初当選した田久保眞紀氏は、市の広報誌などに「東洋大学卒業」と記載していたが、実際には除籍であったことが判明した。7月7日には市議会が辞職勧告決議を可決。田久保市長は「卒業したと思っていた」と釈明し、辞職したうえで出直し市長選への再出馬を表明した。
ところが、7月31日の記者会見で一転して辞意を撤回し、続投を宣言。市には4000件を超える苦情が寄せられた。
田久保氏は7月2日の記者会見で「大学時代、とくに後半は、かなり自由奔放な生活をしていた」と話した。「当時は今と違って携帯電話もなく、大学側と連絡がつかない状態が続いていた」という。
田久保氏自身がバイクで各地を転々とし、住所不定のような生活を送っていたこともあり、大学2年生頃からキャンパスで姿が見られなくなったようだ。講義への出席もなく、試験を受けていなかった可能性が高く、「除籍」は当然の結果である。
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