ホリエモン《東洋大Fラン騒動》に垣間見えた「学歴厨」が量産される日本社会の根深すぎる問題

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「仕事ができるからといって出世できるとは限らない」という指摘もあるが、大企業のトップ(CEO=最高経営責任者)には仕事ができる高学歴者が多いという事実も否定できない。 この背景には、日本の大企業、とくにJTC(Japanese Traditional Company=伝統的な日本企業)ならではの事情がある。

社内には高学歴者が多数存在するため、高学歴者が納得できる条件を満たしていない人をトップに据えるのは難しい。つまり、「なぜあんな大学を出た人が社長なのか」といった、高学歴者や学歴信仰者たちの違和感や嫉妬を気にしているのだ。

そのため、最高学府やそれに準ずる大学でなくても、誰もがそれなりに納得する学歴を略歴に書ける人のほうが、余計な説明を省ける。さらに、トップは社内だけでなく「企業の顔」としての役割も求められるため、有名大学卒のほうが印象がよく、信頼感を高める心理的効果も期待できる。突き詰めれば、これらはすべて「手抜き人事」ともいえる。

近年では、従業員のスキルや経験などの情報を把握し、採用・配置・育成といった人事戦略に活用する「タレントマネジメント」が注目されている。しかし、ここで得られたデータだけでトップ人事が決まっているわけではない。

ある企業は、委員(最低3人)の過半数が社外取締役で構成される指名委員会のもと、「慎重な判断に基づき選定した」と公言しているものの、実際には複雑な主観的要因が絡んだ「手抜き人事」が常態化している。

「学歴厨」が定着するメカニズム

「手抜き採用」においては、偏差値だけでなく、その企業・業界で活躍している大学のOB・OGが多いことも大きな要素となっている。結果として、偏差値が高く、かつ伝統のある大学の学生が有利になりがちだ。そのため、大学受験生や大学生の関心は偏差値と就職実績に集中するようになる。

この結果、「学歴厨」と呼ばれる偏差値偏重の学歴至上主義者が生まれる。受験生だけでなく、社会人になって何十年経っても、同様の意識を持ち続けている人は少なくない。

その中で「勝ち組」とされる人々は、しばしば「下界」が見えなくなってしまう。優秀な人たちとばかり付き合うことで、すべての価値観がそのレベルで形成されてしまうからだ。このような人には、見下された側の人々が置かれている状況や抱いている感情を敏感に感じ取る「共感性」が求められる。

どの時代も、エリート層とそれに続く準エリート層は、つねに一定数見られた。その数は、近年でもあまり変わっていないように思われる。しかし、国力はエリート層だけで決まるわけではない。社会の大部分を占める中間層が、いかに持てる力を発揮し、誇りを持って働いているかが国勢を左右する。

人材の評価を学歴だけで判断することには、根本的に限界がある。学歴は、過去のある時点における選抜結果にすぎず、現在の能力やその後の成長を保証するものではない。

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