ホリエモン《東洋大Fラン騒動》に垣間見えた「学歴厨」が量産される日本社会の根深すぎる問題
例えば、家庭の経済状況や地域の教育環境、親の価値観など、本人の努力では変えられない要因が進学先に影響する。逆に、こうした不利な条件を乗り越えて大学に進学した人には、困難を克服する力や粘り強さや柔軟な思考力が備わっている場合がある。
一流大学に合格した人は「集中力がある」といわれる。筆者もそういった人たちにたくさん会ってきた。他方、同じような力を別の道で磨いてきた人もいる。受験で高得点を取ることだけが能力の証しとは限らない。
「地頭のよさ」を過度に重視するのも問題だ
「地頭がいい」という言葉もよく耳にする。「面接のとき、履歴書の大学よりも、どこの高校を出たかを見る」という意見は、地頭重視を暗に示している。
だが、「地頭がいい」という表現自体が、何を意味するのかは曖昧だ。実際、「地頭」は知識量ではなく、思考の柔軟さや論理的な整理力、未知の課題への対応力などを指すことが多い。
こうした力は、心理学では「認知的柔軟性」や「実行機能」と呼ばれ、IQ(知能指数)や偏差値とは別の軸で評価される。例えば、脳科学の分野では、前頭前野の働きがこの能力に深く関係しているとされ、創造性や問題解決力にもつながる。
さらに、「地頭がいい」も類型が1つではないことから、どのような状況、職場で使うのかで評価は変わってくる。世間が違えば、評価もまったく違う。
受験で失敗したとしても、自分の強みを見つけ、それを生かして成果を出す人は少なくない。むしろ、そうした人材こそが、変化の激しい社会で力を発揮する。
そこで、大学も筆記試験中心の一般選抜だけでなく、AO入試や推薦入試など多様な選抜方法を導入してきた。これは、思考力や創造性、コミュニケーション力など、学力以外の資質を評価するための試みだ。
しかし、この合格者の中には期待どおりの成果を発揮する学生がいる一方で、中退者も目立つ。その主な原因は学力不足にあるとされている。入学したはいいものの、講義についていけないのだ。
こうした多様化した入試の失敗に、大学側も危機感を抱き、推薦入試においても国語・数学・英語などの学力試験を課す「年内学力入試」制度を導入する動きが広がっている。これは、表面的な人物評価だけではなく、一定の学力を前提とした選抜を行う姿勢の表れだ。
(中編に続く)
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