【戦艦「大和」復元への道】『ゴジラ』の街並みを作った会社も協力、2000枚もの写真を使って…「十分の一戦艦大和」建造で味わった"生みの苦しみ"
模型なのに!? 前代未聞の進水式
平成16年(2004年)2月1日に船体が完成し、山本造船で進水式が行われた。模型の進水式など、前代未聞のことだろう。その日のうちに、20トンを超える船体は台船に乗せられて、呉港フェリー桟橋脇に建設中の博物館に運び込まれた。
搬入を急いだのには、理由がある。船体が大きすぎて、建物ができあがってしまってからでは、運び込めないのだ。館内に設置した専用クレーンを使って、ようやく台座に据えた。これで、大和はあるべき場所に固定された。
そして4月1日、私は愛着ある昭和館を離れ、呉市に赴任した。
さっそく、山本造船の大下棟梁が木甲板の作業を始めた。まずは2人の助手を連れて、艦首側から寸法を採る。しかし、平らに見える甲板も平面ではない。水はけをよくするため、左右方向に下りの傾斜がついている。横から見ても、うねるような曲線が連続的に繫がっている。
この前後左右にうねる甲板に、まっすぐ板を張ってゆくことは簡単ではない。しかも、舷側(げんそく)のカーブにあわせて、微妙な木組みが要求されるのだ。巨大な甲板に幅15ミリの板を1枚1枚、手作業で張ってゆく。気の遠くなるような作業だ。


















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