【戦艦「大和」復元への道】『ゴジラ』の街並みを作った会社も協力、2000枚もの写真を使って…「十分の一戦艦大和」建造で味わった"生みの苦しみ"

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呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム
大和ミュージアムのシンボル「十分の一戦艦大和」の制作にはどんな苦労があったのでしょうか(写真:denkei/PIXTA)
2026年春、広島県にある大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)がリニューアルオープンする。この施設のシンボルとも言えるのが、全長263メートルを誇る旧日本軍の超大型戦艦「大和(やまと)」のミニチュア「十分の一戦艦大和」だ。
全長26メートルという巨大な戦艦は、いかに復元されたのか? そして、開館20年を迎えて加えられた改装工事では、何が行われているのか? 20年の間に何があったのか? 開館時から館長を務め、復元も今回の改装プロジェクトも率いた戸髙一成氏の新著『増補新版 戦艦大和 復元プロジェクト』(KADOKAWA)では、スタッフの熱き闘いを振り返りつつ、「悲劇の戦艦」とされる大和の全貌に迫っている。
今回はそのなかから、20トン超えの「十分の一戦艦大和」の船体が完成してから直面した苦労の数々に焦点をあてて紹介する。

模型なのに!? 前代未聞の進水式

平成16年(2004年)2月1日に船体が完成し、山本造船で進水式が行われた。模型の進水式など、前代未聞のことだろう。その日のうちに、20トンを超える船体は台船に乗せられて、呉港フェリー桟橋脇に建設中の博物館に運び込まれた。

搬入を急いだのには、理由がある。船体が大きすぎて、建物ができあがってしまってからでは、運び込めないのだ。館内に設置した専用クレーンを使って、ようやく台座に据えた。これで、大和はあるべき場所に固定された。

そして4月1日、私は愛着ある昭和館を離れ、呉市に赴任した。

さっそく、山本造船の大下棟梁が木甲板の作業を始めた。まずは2人の助手を連れて、艦首側から寸法を採る。しかし、平らに見える甲板も平面ではない。水はけをよくするため、左右方向に下りの傾斜がついている。横から見ても、うねるような曲線が連続的に繫がっている。

この前後左右にうねる甲板に、まっすぐ板を張ってゆくことは簡単ではない。しかも、舷側(げんそく)のカーブにあわせて、微妙な木組みが要求されるのだ。巨大な甲板に幅15ミリの板を1枚1枚、手作業で張ってゆく。気の遠くなるような作業だ。

次ページ1、2週間すぎても思うように進まず
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