【戦艦「大和」復元への道】『ゴジラ』の街並みを作った会社も協力、2000枚もの写真を使って…「十分の一戦艦大和」建造で味わった"生みの苦しみ"
棟梁は頭の中で、じっくりと段取りを考えている。1週間がたち2週間がすぎても、思うように進まない。なかなかペースがつかめないのだ。しかし、棟梁にしかできない仕事に、誰も口を出すことはできない。
1カ月がたった頃、ようやく前甲板が見えてきた。その素晴らしさはたちまち評判になり、雑誌などで紹介される機会が増えてきた。それまでは実現に半信半疑だった人たちも、見る目が違ってくるのがわかった。
同時に棟梁の作業ペースが加速し、夏の初めに木甲板が完成した。建造打ち合わせのとき、衝突の原因となった甲板は、予想をはるかに超えた見事な作品になったのである。これで私は、もう成功を確信していた。この見事な甲板に載せる上部建造物は、すべてこの甲板のレベルに合わせなければならなくなるからだ。
今思えば、このときの私はまだ、甲板に負けない建造物を作る苦労を想像すらしていなかったのである。
資料を集めれば集めるほど“誤差”が見られ…
私が艦橋をはじめとする上部構造物に関して、割合に楽観的でいられたのには理由があった。というのも、大和については多くのマニアによって、長年にわたる調査研究が積み重ねられていたからだ。とくに模型に関しては坂上隆氏、資料に関しては泉江三氏といったベテランが、数十年の研究の蓄積を公開していた。
さらに、平成11年(1999年)に行われた大和の海底潜水調査で撮影された、60時間におよぶビデオと多数の写真が新しい情報を提供してくれるものと安心していた。
上部構造物の製作は、マーブリングが当たることとなった。同社は東宝の関連会社で、おもに映画のセットを製作している。『ゴジラ』などの映画で見られるリアルな町並みは、彼らの作品である。今度は、船体のときのような正確な再現以上に、10分の1でありながら実物のスケールを髣髴(ほうふつ)とさせる“見せかた”が必要になる。
担当の田島勇氏らとの打ち合わせで、さっそくつまずくことになった。さまざまな大和関係の資料を集めれば集めるほど、それぞれ微妙に違っているのだ。


















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