「己の血統が賤しいことを打ち消そうと…」豊臣兄弟が隠し通した秘密の兄弟姉妹…秀吉の前に現れた"実の兄弟"自称する若者の哀れな末路とは
秀吉の前に現れた「実の兄弟」を自称する若者
戦国時代の只中の天文9年(1540)、尾張国(愛知県西部)で秀長は生まれます。兄は秀吉ですが、秀吉には智という姉がいました。天文12年(1543)には、旭(後に徳川家康の正室となる)という妹も誕生します。秀吉の父は、百姓の弥右衛門、母はなかでした。
弥右衛門・なか・智・秀吉・秀長・旭の6人家族だったと思われますが、弥右衛門は天文12年に病死。母のなかは、その後、織田信秀に仕えた筑阿弥と再婚したとされます。
秀長と旭は筑阿弥の子という説もありますが、弥右衛門が天文12年に亡くなっていることや、2人の生年を考えると、父は弥右衛門の可能性が高いでしょう。
前述したように、秀吉には智・秀長・旭という兄弟姉妹がいたわけですが、実は他にも兄弟姉妹がいたのではないかとする説があります。それは、戦国時代に来日したポルトガルの司祭ルイス・フロイスの著作『日本史』が論拠となっています。
『日本史』のなかに、秀吉の兄弟姉妹にまつわる興味深い記述があるのです。時は天正15年(1587)、秀吉はこの2年前に関白に就任していました。
そうした時に、美しい衣装を来た武士2~30人を従えた若者が、秀吉が築いた大坂城に現れるのです。この若者は伊勢国(現在の三重県)から大坂に来たといいます。
彼は、関白・秀吉の「実の兄弟」を自称し、秀吉と対面するのでした。ちなみに、若者の知り合いの多くが、彼が秀吉の兄弟であることを「確信」していたそうです。




















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