「お味方に参るので、人質をお受け取りください」信長の稲葉攻めで転機 斎藤氏の没落決定づけた"三重臣の裏切り"

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
岐阜城(写真:Yama / PIXTA)
岐阜城(写真:Yama / PIXTA)
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、天下人・豊臣秀吉の弟である豊臣秀長を中心に、戦国時代のど真ん中で天下統一を果たした兄弟の軌跡にスポットライトがあてられています。今回は、美濃斎藤氏がどのように追い詰められたのか解説します。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。

斎藤龍興の重臣がそろって寝返った

永禄9年(1566)4月、美濃攻略を進めていた織田信長は木曽川を越え、美濃国加賀見野(岐阜県各務原市)に出兵します。美濃の斎藤龍興も稲葉山城から兵を出し、信長に対抗しようとしました。

両軍激突するかと思われましたが、信長軍は難所に手こずり、馬も自由に動けない状況になり、すぐに帰陣することになるのです。信長による美濃攻めは、まだまだ数年先も続くかと予想されますが、翌年(1567)8月1日、転機が訪れます。

いわゆる「美濃三人衆」の稲葉良通・氏家卜全(直元)・安藤守就が信長に対し「お味方に参るので、人質をお受け取りください」と申し出てきたのです。

氏家卜全と安藤守就は、斎藤龍興の家老の立場にありました。斎藤家の重職にある者が2人、有力武将が1人も敵(信長)に帰順したのですから、龍興にとっては痛手です。

次ページ斎藤氏の権威が弱化
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事