「お味方に参るので、人質をお受け取りください」信長の稲葉攻めで転機 斎藤氏の没落決定づけた"三重臣の裏切り"
斎藤龍興の重臣がそろって寝返った
永禄9年(1566)4月、美濃攻略を進めていた織田信長は木曽川を越え、美濃国加賀見野(岐阜県各務原市)に出兵します。美濃の斎藤龍興も稲葉山城から兵を出し、信長に対抗しようとしました。
両軍激突するかと思われましたが、信長軍は難所に手こずり、馬も自由に動けない状況になり、すぐに帰陣することになるのです。信長による美濃攻めは、まだまだ数年先も続くかと予想されますが、翌年(1567)8月1日、転機が訪れます。
いわゆる「美濃三人衆」の稲葉良通・氏家卜全(直元)・安藤守就が信長に対し「お味方に参るので、人質をお受け取りください」と申し出てきたのです。
氏家卜全と安藤守就は、斎藤龍興の家老の立場にありました。斎藤家の重職にある者が2人、有力武将が1人も敵(信長)に帰順したのですから、龍興にとっては痛手です。





















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