今の台湾からは想像しにくいが、台湾はかつて一党独裁体制下にあった。経済成長は始まっていたが、戒厳令が敷かれ、言論の自由も民主的な選挙もなかった。そんな時代の1980年2月28日、民主化運動で捕まった人の自宅で娘と母親が惨殺される事件が起こった。
それから46年経った今年、この事件を題材にした映画が制作されていたことが突如明らかにされ、その内容への疑念も広がってSNS上で波紋を呼んだ。台湾社会で改めて事件への記憶が呼び起こされる中、その議論を引っ張ったのは政治に縁がなさそうな台湾のランドマーク「台北101」ビルの女性会長だった。一連の動きは現在の台湾社会を知るうえで興味深い現象で、何が起きたのか本稿で掘り下げてみたい。
戒厳下で起きた一家惨殺事件
80年2月28日、台北市中心部で6歳の双子の少女と60歳の女性が刺殺される事件が起きた。被害者は美麗島事件(民主化運動に参加した人たちが大量に逮捕された事件)の被告で当時は拘置所に留置されていた林義雄・台湾省議会議員の娘と母親だった。現場は林氏の自宅で、9歳の長女は瀕死の重傷を負ったが一命を取り留めた。だが、彼女も事件の恐怖で記憶を失った。
林義雄氏の自宅は当時、政治警察の監視下にあり電話も盗聴されていた。そこで白昼の一家惨殺事件が発生。手がかりもなく、犯人は現在もわからないままだ。
事件は台湾社会にとって敏感な2月28日に起きた。二二八事件である(下記用語解説を参照)。日本統治時代以前から台湾に住んでいた本省人にとって、恐怖を呼び起こす日付である。そのため、台湾社会(正確には国民党を警戒する本省人の社会)では多くの人が直感的に体制による反体制派人士の家族へのテロ行為と受け止めた。
現場の住宅は後に改修され教会となった。事件は台湾で「林宅血案」と呼ばれる。日本では一般にあまり知られていないが、台湾研究者のほとんどは台湾研究のパイオニアとして知られる若林正丈・早稲田大学名誉教授の本を読み、この事件を知っている。
二二八事件:47年2月28日、台北市で発生した警察と地元住民との衝突が中華民国の統治への不満となって爆発し暴動が台湾全島に拡大、その後国民党当局による流血の弾圧と粛清が行われた。台湾では歴史を記憶するため、この日を「二二八和平紀念日」として公休日に指定している。
事件から20年後の2000年2月28日、現場の教会で追悼集会が行われた。部外者の筆者も参列させてもらった。当時林義雄氏は民進党主席で2000年総統選挙が大詰めの時期だったが、参加者はあまり多くなく、集会は静かで厳かな雰囲気だった。事件のただ1人の生き残りの娘(事件後アメリカに移住)が「アメリカで幸せに暮らしている」と伝えるビデオメッセージが放映された。






















無料会員登録はこちら
ログインはこちら