銀行が融資対象としていた個人は、企業の役職者や実業家、専門職、公務員などある程度の地位と安定収入がある層のみでした。
だから「自宅を買おう、建てよう」とする個人は、自己資金を持っている人か親族から資金援助や贈与を受けられる層しかいなかったのです。
一方、国は1950年には特殊法人「住宅金融公庫」を設立し、一般の国民(労働者)が住宅を建設するための「公庫融資」を行いました。
これは25年超の長期間固定金利で民間の金融機関よりも低金利でした。
だから小泉政権が「行政改革」で実質廃止にするまで、「公庫融資」という制度は、約半世紀にわたって「庶民のマイホーム取得の切り札」だったのです。
金融機関にとっては「理想の巨大集金システム」
ここで言いたいのは、毎年60万人が首都圏にやってきた50年代から約半世紀にわたって、戦後270万戸が足りないと言われた「マイホーム取得」の大ブームが起きたこと。
そして、その資金源として「住宅ローン」という大ヒット商品が生まれたことです。
ほかの商品と違い、住宅は価格が大きく、融資を受けたサラリーマンは約25年間もずーっと毎月一定金額を金融機関に返済していきます。
誰もが自宅を手放したくはないですから、金融機関としては「とりっぱぐれ」のない安定融資といえます。金利が高いときなら25年間の返済総額は、取得価格の2倍近くになったはず。
金融機関にとっては、まさに「理想の巨大集金システム」であり、日本中の「住宅取得資金」が中央に集まったのです。
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