大河ドラマ主役「蔦屋重三郎」現代の"ヒットメーカー"との共通点 作家たちとの交流で大事にしたこと

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大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎 見城徹
(写真: keyphoto / PIXTA)
今年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』は横浜流星さんが主演を務めます。今回は蔦屋重三郎と幻冬舎社長で数々のヒット作を世に出してきた見城徹氏の共通点を解説します。
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黄表紙ブームだった江戸時代

黄表紙(江戸時代中期以降に数多く出版された絵を主とする小説。黄色の表紙であったことから、黄表紙と呼ばれた)を1775年から1782年頃まで牽引してきたのが、戯作者(通俗作家)の恋川春町や朋誠堂喜三二、伊庭可笑などでした。

それから、1783、1784年(天明3年・4年)頃になると、山東京伝や四方赤良(大田南畝)、志水燕十といった実力派の戯作者が、黄表紙業界に参入。業界は、更に熱を帯びてきます。

そうなると、当然、黄表紙の出版点数も右肩上がりとなり、天明3年・4年には、それぞれ、84点、92点もの黄表紙が刊行されることになるのです。

天明元年(1781)が69点、天明5年(1785)が50点ほどということを考えれば、天明3年・4年は、黄表紙業界のピークと言えるのかもしれません。

黄表紙に限らず、書籍が売れるか否かの、1つの要因は、戯作者にかかっています。いい戯作者がいい作品を書けば、書籍は売れる可能性が高い。よって、版元による、戯作者争奪戦も起きていたようです。

江戸時代後期の著名な浮世絵師・戯作者の山東京伝は、天明4年頃までは、鶴屋(江戸時代初期に江戸で出店した老舗版元)と準専属的関係を結んでいたと言われますが、天明5年頃から、蔦屋重三郎が、それに待ったをかけたとされています。

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