もういい加減、マウンティングはやめにしない? いつまでも「学歴」にこだわる人が見落としている"人生の真実"

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なぜ多くの人が「学歴」で他人を判断してしまうのか。そこに潜む“現代社会の病理”を読み解いてみたい(写真:青空/PIXTA)

某地方自治体の市長の話を含め、相変わらず学歴に関する話題やネタには事欠かない印象だ。そこで今回は、なぜ人はわざわざ他人の学歴を気にして、中高年になってもレッテル貼りに使うのか、はたまた、なぜ学歴が長年ホットな論争の話題でありうるのかについて考えていきたい。

学歴が論争の種になりやすい3つの特徴

まず、学歴は以下の3つの特徴のために、「わかりやすい評価指標」や「比較対象の基準」として使うのに圧倒的に便利だ。

それらの特徴とは、

① 学歴とは誰もが持っているものである
② 「偏差値」などの共通の指標でレベル感が可視化されており、共通認識として一般的に解釈され、受け入れられている
③ 過去にさかのぼって変えることができない

というものだ。

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学歴は誰もがもっている「歴」であり、なおかつ、共通の認識としてそのレベル感が可視化されている。そのため、非常にわかりやすい評価や比較対象の指標・基準として機能している。

しかも、過去にさかのぼって変えることができないため、ある人にとってはいつまでも「過去の栄光」として自分の価値証明として活用できる一方で、悪意のある人にしてみれば「過去の汚点」としての攻撃材料になりうる、ということになる。

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