もういい加減、マウンティングはやめにしない? いつまでも「学歴」にこだわる人が見落としている"人生の真実"

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話を戻すと、「学歴を気にしない人」と「いつになっても学歴を持ち出したりする人」の違いはどこにあるのだろうか。結論から言ってしまうと、現在の自分の生活や環境に満足しているのか、現状に不満や不安を抱えているかの違いである。

現在の自分自身の生活や仕事などに満足している人は、当然であるが、目線は現在と将来を向いている。過去をさかのぼっている暇もないし、その必要性もない。

あえて過去にさかのぼるのであれば、過去の成功ではなく、過去の失敗から学ぶため、ということくらいだ。そして、自分自身の社会におけるポジションも、自分自身の価値も、自分なりの指標や考え方によって把握しているので、他人と比べるという思考にはならない。

反対に、現在の自分自身の生活や仕事などに満足しておらず、不満や不安を抱えている人の目線は「過去の栄光」に向きがちだ。現在からは逃避したいし、将来を考える余裕がないので、過去に活路を見いだす。「過去から学ぶ」のではなく、「過去に依存している」ともいえる。

そして、自分自身に対する自信がないがゆえに、他人との関わりや関係において、社会における自分の立ち位置などを必死に探そうとする。その結果が、他人をおとしめることや他人のあら探しをすることで、自分の価値が上がったと勘違いしたり、勝った気になるという、自己肯定のための自己防衛行動に走ることになる。

学歴に活路を見いだすことのむなしさ

もちろん、これは本質的な行動や思考回路ではない。他人をおとしめたり、他人の過去のあら探しをしても、自分の価値が上がるわけでもないし、自分自身の現在と将来に何かポジティブな影響があるわけでも決してない。

そう考えると、現在のように社会が多様化し、複雑化し、将来の見通しが立ちにくい世の中であるからこそ、不変的でわかりやすい「学歴」に最後の拠り所を見いだす人もより増えているのだろう。

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