【写真あり】東大卒で警備員に。就職氷河期時代のなか彼はなぜ《年収1100万を捨てた》のか――"九龍城砦”と化した東大駒場寮で学んだこと

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駒場寮は、かつて東大の駒場キャンパス東側に存在した学生自治寮である。2001年8月、裁判所の決定に基づき、寮明け渡しの強制執行がなされた(写真:齋藤さん提供)
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東大文学部卒、年収230万円。学生時代に大学当局と闘っていた彼は、なぜ自ら望んで地下街の警備員になったのか? 東大卒のノンフィクションライター・池田渓氏が「東大卒業生らしくない人たち」の人生を追ったルポルタージュ『東大なんか入らなきゃよかった』。
単行本に大幅加筆・増補された文庫版から、一部抜粋・再構成してお届けする(全3回の1回目)。

今はなき東大の寮

「九龍(クーロン)城砦みたいで楽しい場所だったよ」

齋藤洋介さん(インタビュー当時44歳)は、駒場寮についてそう語った。

駒場寮は、かつて東大の駒場キャンパス東側に存在した学生自治寮である。東京大学大講堂(通称、安田講堂)の基本設計者である内田祥三(後に東京帝国大学総長)が設計し、1935年に建設された鉄筋コンクリート造の、由緒正しい東大の寮だ。「かつて」と書いたのは、すでに取り壊されて、今はもう存在しないからだ。

1991年10月に教養学部の教授会で廃寮が議題に上って以降、寮の明け渡しと取り壊しを巡り、大学と学生は何年にもわたり激しく争った。

「駒場寮闘争」と呼ばれるこの争いは、2001年8月、裁判所の決定に基づいて約600人の教職員と警備員が動員され、機動隊も待機し、寮明け渡しの強制執行がなされる形で終息を迎えた。東大文学部卒の齋藤さんも、駒場寮闘争に参加していた。

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