「東大」の地位を脅かす「幻の移転案」その顛末 戦前の「東大一極集中」は東京にあったから?
哲学者が説いた東大一極集中の論理
昭和の戦前期、全国の旧制高校生の進路志望は東大一極集中の様相を呈していた。1936(昭和11)年、哲学者の三木清はその原因について根本的な考察を加えている。
三木は「学生の東大集中には十分の理由がある」という。だがその理由は、東大の整った設備やすぐれた教授陣、教育内容では必ずしもない。高校生が教育内容に関心を持っているかどうかは、実のところ怪しい。
東大に人気が集中するのは、「今日の日本では凡(すべ)ての文化が殆(ほとん)ど東京に集中されてをり、文化生活の豊富さにおいて他の都市は東京とは全く比較にならぬ」からだ、というのが当時の三木の見立てであった。
娯楽や遊興の豊富さといった卑近な話だけではない。勉学についても、東京は「知的文化的生活」を提供してくれる唯一の都市だった。
「学生は単に学校でのみ学ぶものでなく、また社会から学ぶものであり、そして東京の如きは都市そのものが大学である」
入手できる書物、鑑賞できる芸術作品、そして、その気になればたやすく接触できる知識人・文化人の数を見ても明らかだったのだろう。
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