「東大」の地位を脅かす「幻の移転案」その顛末 戦前の「東大一極集中」は東京にあったから?

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本郷地区キャンパス 東京大学
東京大学本郷地区キャンパス、共同通信社ヘリから2023年12月10日撮影(写真:共同通信)
多様な生き方や考え方が認められる世の中に変化しつつあるとはいえ、いまだ日本社会では無意識のうちに学歴が高いか、低いかでその人の価値を見定める傾向があります。特に「東大」に対しては、誰もが一目をおく存在であることに変わりはないようです。
歴史的には、国家のエリート養成機関として設立された東大に対抗し、独自の教育で東大より優位に立とうとする大学もありました。それでも東大の絶対的地位がさほど揺るがなかった理由について、甲南大学法学部教授の尾原宏之氏は著書『「反・東大」の思想史』で、さまざまな理由や経緯があるものの、「東大が東京にある」ゆえの一極集中がこの状況を形成する一つのきっかけになったのではないか、と考察しています。
本記事では同書より一部を抜粋、再編集し、幻に終わった田中角栄の「東大移転論」などを振り返ります。

哲学者が説いた東大一極集中の論理

昭和の戦前期、全国の旧制高校生の進路志望は東大一極集中の様相を呈していた。1936(昭和11)年、哲学者の三木清はその原因について根本的な考察を加えている。

三木は「学生の東大集中には十分の理由がある」という。だがその理由は、東大の整った設備やすぐれた教授陣、教育内容では必ずしもない。高校生が教育内容に関心を持っているかどうかは、実のところ怪しい。

東大に人気が集中するのは、「今日の日本では凡(すべ)ての文化が殆(ほとん)ど東京に集中されてをり、文化生活の豊富さにおいて他の都市は東京とは全く比較にならぬ」からだ、というのが当時の三木の見立てであった。

娯楽や遊興の豊富さといった卑近な話だけではない。勉学についても、東京は「知的文化的生活」を提供してくれる唯一の都市だった。

「学生は単に学校でのみ学ぶものでなく、また社会から学ぶものであり、そして東京の如きは都市そのものが大学である」

入手できる書物、鑑賞できる芸術作品、そして、その気になればたやすく接触できる知識人・文化人の数を見ても明らかだったのだろう。

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