「東大」の地位を脅かす「幻の移転案」その顛末 戦前の「東大一極集中」は東京にあったから?

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一方、「地方には殆ど文化都市といふものが存在しない」と三木は指摘している。「東大集中」は、政治・行政だけでなく文化も東京に一極集中したことの結果だというのだ。

「東大を出ることと東京にゐること」は卒業後の就職においても有利なので、浪人してもそれを上回るメリットがあった。

関東大震災と東大の危機

1923年に発生した関東大震災では、東大にも大きな被害があった。工学部や医学部の実験室などから出た火が燃え移り、震害を含めて本郷キャンパスの建物の3分の1が失われたという。

震災直後、東大は研究・教育機関として当面立ちなおれないのではないか、という見方が広がった。

とりあえず学生をほかの帝大に転学させるアイディアも浮上し、九州大では東大工学部の学生を引き取る案が協議された。

東大当局も乗り気で、転学希望者について、東大に在籍したまま京大や東北大で勉学を続けられるよう便宜を図る決定を下した。

ところが、転学希望者はほとんどいなかったようである。『東京朝日新聞』は、「焼けても恋しい 東京の帝大 地方の大学へ転校者尠(すくな)し」という記事を掲載し、転学希望がごく少数にとどまったことを報じている。

75万冊の図書館蔵書が燃え、実験設備が焼けてもなお学生は東京、東大にいることを選んだということだろう。三木が東大一極集中の背後に見た東京の魅力の強さの一例といえる。

東大側もこの点には自覚的だった。関東大震災の後、この際東大を郊外に移転させる案が浮上したが、学内からの強い反対もあり、頓挫した。

文学部教授の松本亦太郎によれば、東大の指導的役割は東京都心に位置することによって維持されている、というのが大きな反対理由である。

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