大河ドラマ主役「蔦屋重三郎」現代の"ヒットメーカー"との共通点 作家たちとの交流で大事にしたこと
また、作家の五木寛之氏と「どうしても仕事がしたい」と、見城氏が思ったときも「五木さんが長編小説を出版したり、短編を発表したり、エッセーが掲載されたりするたび、そのすべてを読み込んで、感想を五日以内に書いて手紙で出すことを続けた」(同前)そうです。
見城氏は「編集者は惚れ込んだ作品に対して、遮二無二突き進んでいかなくてはならない」(同前)とも語っていますが、蔦屋重三郎も、見城氏と似たタイプだったのかなと、私は想像しています。
若き戯作者たちと交流を深めた蔦重
重三郎は、若き戯作者たちと、自身が生まれ育った吉原で交流しました。それを「吉原外交」と称する人もいますが、戯作者たちも、吉原に出入りすることで、創作意欲を刺激されたでしょう。重三郎を通して、戯作者同士も交流し、それがまた、刺激にもなったはずです。
前述した歌麿や馬琴、京伝にとって、重三郎は恩人でした。その恩人が作品の依頼をしてきたら、戯作者たちは、うれしかったでしょうし、創作にも力が入ったはずです。そして、良作が生み出される。重三郎と戯作者との交流が、好循環を作り出していたのです。
(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)
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