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〈詳報記事〉老舗リゾート・熱海「ニューアカオ」がたどった末路。コロナ禍に翻弄され、やむなく保有資産を相次いで手放したが…

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熱海の象徴とも称されたホテルニューアカオ。コロナ禍によって運命が狂う(写真:PIXTA)

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インバウンド(訪日外国人観光客)の急増を受け、外資系ホテルの進出ラッシュが始まった。規模で勝る外国勢に日本勢が対抗するすべはあるだろうか。本特集では隆盛を極めるラグジュアリーホテルの最前線に迫った。

コロナ禍が直撃し債務超過に

観光客で賑わう静岡・熱海。市街地からバスで揺られると、伊豆半島からせり出し、相模湾上にひとり佇むホテルが見えてくる。1973年、当時の最先端技術を駆使して海上に建てられた「ホテルニューアカオ」だ。

その特徴的な立地から熱海の象徴とも称されたホテル。運営していたのは「ACAO SPA & RESORT(以下、アカオ)」。近隣の別棟や60万平米を誇る庭園のアカオフォレスト、そしてプライベートリゾートのアカオビーチを含めて、いずれもかつてはアカオの資産。一帯を「アカオリゾート公国」と名乗る時期さえあった。

が、在りし日の「公国」の姿はもはやない。コロナ禍が直撃し債務超過に転落すると、投資ファンドなどに保有施設の切り売りを余儀なくされた。それでも経営は持ち直せず、2024年7月、創業70周年という節目にして民事再生法の適用を申請した。現在は残る不動産も海外の企業へと渡り、現在はアカオフォレストなど一部施設の運営にのみ従事する。老舗リゾート会社が抱える優良資産は、倒産を契機にさまざまな投資家が触手を伸ばしてきた。

アカオの源流は1954年に赤尾蔵之助が開いた赤尾旅館だ。温泉旅行需要を捉えて業容を拡大させると、周辺の土地を次々と取得。前述のホテルニューアカオやフォレスト、ビーチなどを開業。2002年から「アカオリゾート公国」と称するようになった。

アカオリゾートの位置関係
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