【前編】大河の主役「徳川家康」先祖の波瀾万丈 有名な葵の御紋と加茂神社の意外な関係も

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2023年の大河の主役、徳川家康(イラスト: えのすけ /PIXTA)

徳川家康を主人公にした大河ドラマ「どうする家康」(主演・松本潤さん)が1月8日にスタートするが、初回は、織田信長と今川義元軍が激突した桶狭間の合戦から始まるようである。

しかし、家康(当時は松平元康)はそれ以前に生を受けていたし(1543年生)、家康以前の松平一族の歴史もなかなかに興味深いものがある。そこで、ここでは「家康前史」として、松平一族の波瀾万丈な歴史を振り返り、読者が大河ドラマを見る際の参考としたい。(後編はこちらから

さて、徳川家康は、自らを清和源氏(平安時代前期の清和天皇から出て源姓を名乗った氏族)の名門・新田氏の血を引く者と信じていた。また、江戸幕府の旗本・大久保彦左衛門忠教(1560〜1639年)が著した『三河物語』(1622年頃に成立か。忠教の自伝)にも、家康の先祖にまつわる話が次のように書き記されている。

家康の先祖は新田義貞の一族

彦左衛門は「家康の御由来を申立る」として、神代から筆を起こしているが、さすがに、それは割愛しよう。家康の先祖は、新田義貞(1301〜1338)(鎌倉末・南北朝時代の武将で、上野国新田荘を拠点とする豪族。鎌倉幕府を倒すも、最後には足利尊氏方に敗れる)の威勢に従い、上野国(群馬県)新田郡のうち、徳河郷(太田市)を領していたという。よって、「徳河」を名乗ったということだ。

徳河(川)氏は、源義家(平安時代後期の武将)の流れをくみ、新田氏の庶流(本家から分家した家筋)であったが、新田義貞が足利方に敗れたのちは、徳河郷を出て、諸国を流浪する有様だったという。

ついには、時宗(鎌倉時代後期の僧・一遍を開祖とする浄土教の一派)の僧侶になる者まで現れた。その名は徳阿弥。徳阿弥は諸国を放浪するうちに「西三河坂井之郷中」に立ち寄る。彼はそこで、女性と出会い、男子をもうける。

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