【前編】大河の主役「徳川家康」先祖の波瀾万丈 有名な葵の御紋と加茂神社の意外な関係も

拡大
縮小

そうした時、三河国松平郷に松平太郎左衛門という「有徳なる人」(富裕人)がいて、どのような縁そして動機かは分からぬが、流れ者の徳阿弥と自分の娘を結ばせる。徳阿弥は、松平家の入婿となり「松平親氏」を名乗った。

そして、たちまち、弓矢でもって、近隣の領主たちを従えていったと言われる。中山十七名(愛知県額田郡、岡崎市)へ進出したというのである。富裕者の婿となった親氏は、軍事行動によらず、買得により、土地を集積していったとされる。

ちなみに、親氏は勇猛さだけでなく、民百姓・乞食・非人にも優しく接した慈悲の人であり、民のため、橋をかけ道を切り開いたという。以上が『三河物語』が記す松平氏の始祖・親氏の動向である。

徳川家の正史『徳川実紀』は、上野国新田荘世良田郷徳川(得川)に居住した徳川(得川)四郎義季の子孫が親氏だという。同書は、親氏が清和源氏の流れを汲む新田一族だとしている。

『松平氏由緒書』による異なる視点

一方、17世紀の後半にできた『松平氏由緒書』(以下、由緒書と記す場合もあり)という書物には、少し違った視点から親氏の動きを描いている。由緒書は、松平太郎左衛門家の家老を務めた神谷家に伝来する歴史書で、同家の由来が語られている。

それによると、同家の先祖は在原氏か鈴木氏(紀伊国熊野の出)ともいわれ、明確ではない。太郎左衛門尉信重(15世紀前半の松平郷の領主)の時には、豊富な金銀・米銭を持ち、従者が12人いたという。信重は、徳ある人物で、道を築くなどして、民の便宜をはかったそうだ。『三河物語』が記すところの親氏の善行と重なるところがあり、興味深い。

富裕者の信重は、あるとき、屋敷内で連歌(和歌から派生した詩歌。数人から十数人で交互に詠み連ねる詩歌)の会を開催。だが、筆役(書記)がおらず、困まっていたところに、どこからともなく、諸国を流浪する僧形の者が現れる。

信重の願いにより、その者は筆役を務め、これを無事に果たした。流浪の者の教養の高さに感心した松平信重は、彼を邸にとどめたばかりか、独身の自分の娘と結婚してほしいと頼むのである。その者は松平家の入婿になった。『由緒書』は、この人物を「信武」とするが、『三河物語』が記す「徳阿弥」(松平親氏)の状況・立場と似ている。

次ページ松平泰親が後継者に
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT