【前編】大河の主役「徳川家康」先祖の波瀾万丈 有名な葵の御紋と加茂神社の意外な関係も

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話を信光に戻すと、信光と伊勢氏との関係を示す出来事に、寛正6年(1465年)5月の牢人による幕府への反乱がある。三河国額田郡(愛知県岡崎市・幸田町)の丸山氏や大場氏という牢人たちが、守護・細川氏に反乱したのだ。この反乱軍に、松平信光の親族や家臣が関与していると疑われたという。

幕府は三河国守護・細川氏に牢人衆の討伐を命じ、細川氏の要請を受けた伊勢氏は、被官の松平信光にも反乱の鎮圧を命じる。それにより、信光は牢人の討伐を担った。

信光は長享2年(1488年)に85歳で死去したとされるが、彼は『三河物語』によると「西三河のうち三分の一を切り従えた」と評されている。信光の子に親忠がいるが、親忠は松平家の菩提寺・大樹寺を現在の岡崎市に創建したことで知られる(1475年)。

親忠は、本家の岩津松平から、安城(愛知県安城市)に分家。親忠は安城松平家の初代であり、その流れのなかから、清康や家康といった英邁な人物が輩出されることになるのである。

家康の先祖について述べてきたが、家康の先祖が新田氏の血を引く存在であるという伝承は疑問符がつかざるを得ない。

現代の歴史家(例えば、北島正元氏)も「松平氏が新田氏の子孫であるという説にはなんらの根拠もない」「所伝は後世の記録であって疑問がおおく」としている。

しかし、松平氏が新田氏(源氏)の流れを汲むという伝承は、家康以前から松平家の中で語り継がれていたものだった。松平信光の願文には「源氏武運長久」と記されているし、家康の祖父・清康も「世良田二郎三郎」を名乗ったという。家康はそれを信じたのである。

葵の御紋は加茂神社の御神紋

ちなみに、葵の御紋(三つ葉葵)と言えば「徳川家」を想起する人が多いだろうが、本来は京都の賀茂神社の御神紋である。一説によると、松平家は、古代豪族の賀茂氏の一族だったとも言われている。三河国賀茂郡も賀茂一族の縁の地とされる。

松平一族(例えば益親)のなかにも「賀茂朝臣」を称する者もいた。葵の御紋を使用している徳川家は、賀茂氏の末裔ではないかとの説もこうしたところから出てくるのである(新田氏の家紋は、一引両)。江戸時代、葵の御紋の使用が制限されることもあり、享保7年(1722)には浪人・山名佐内が、衣服に葵の御紋を刺繍したとして「死罪」の判決が出ている。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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