戦国最大のナゾ「豊臣秀吉」が朝鮮出兵した真相 名誉のためなのか、土地が欲しかったのか??

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秀吉が朝鮮出兵した真相とは??(写真: えのすけ /PIXTA)
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、日本の戦国時代の歴史に改めて注目が集まっています。明智光秀の「本能寺の変」による信長の死後、天下を取ったのは豊臣秀吉です。秀吉は、国内のみならず、朝鮮半島にも出兵しますが、いったいなぜ出兵しようとしたのでしょうか。東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏が上梓した『「失敗」の日本史』を一部を抜粋・再構成し、背景事情に迫ります。

これは日本史上の難問題。秀吉はいったいなにを考えて朝鮮まで出兵したのでしょうか。

昔から言われてきた説として、まずあげられるのが名誉欲。日本のすべてを手に入れてしまった秀吉は、言ってしまえば「思い上がっていた」。権力を手にした秀吉が、それに酔ってしまい、日本を征服した自分の力をもってすれば中国でも支配できると考えた。そして実際に大陸を目指す。

もともと、朝鮮を自分のものにしようと考えていたわけではありません。本来の目的は中国大陸です。中国を手に入れて天皇を移すと、そこまで考えていたのですね。もはや妄想に近いような構想ですが、それくらい思い上がっていた、という解釈です。

そしてもう1つ、これも昔からよく言われる説として「土地が足りなくなっていた」というもの。日本全国を攻め取ってしまった結果、家来たちに配分する土地がなくなった秀吉は、家来たちの期待に応えるために、新しい土地の獲得を目指したという説。

家康1人ですら苦労したのに…

最初の「思い上がり説」ですが、果たして人間は、そこまで思い上がれるものでしょうか。本当に秀吉は「日本を全部平定した俺なら、中国大陸も取れる」と考えていたのか。

しかし新刊『「失敗」の日本史』で述べたように、結局、秀吉は家康を潰せなかった。そもそも潰す以前に、家康を家来にすることだけでも相当に苦労しているのです。

豊臣秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営がぶつかった「小牧・長久手の戦い」の当時、もし総力をあげて戦えば、秀吉は家康に勝つことができただろうと思います。しかし彼の立場も繊細なバランスの上に成り立っていた。秀吉にしてみれば「ここで1つ下手を打ったら、今は一応、俺に従っている連中まで牙をむくに違いない。なるべく早く家康と手打ちをしよう」と考えていたはず。

実際に早々と講和した秀吉が、家康を服従させるために目をつけたのが天皇の権威でした。それまでの秀吉は、もともと天皇や官職にまったく興味がなかった。しかし家康と講和するために、これは使えると目をつけたわけです。

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