戦国最大のナゾ「豊臣秀吉」が朝鮮出兵した真相 名誉のためなのか、土地が欲しかったのか??

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もう1つ、家来に与える土地を獲得するため海外へ出兵した、という説もよく耳にします。こちらはこちらで、秀吉という人が、果たしてそこまで家来思いだったとも思えないのです。

確かに家来にきちんと恩賞を与えないと、豊臣政権が安定しないという事情はあったのかもしれない。しかしそれを言うのであれば、繰り返しとなりますが、総力を挙げて家康を潰したほうが、よほど豊臣政権は安定したし一石二鳥ではなかったのか。

しかも日本の武士に、言葉も通じない土地を征服して支配するノウハウはありません。海の向こうの土地を与えられても、実際にどう治めたらいいのか。甲子園初出場の高校は多くの場合、1回戦で負けてしまいますが、それは実力と言うより、常連校に比べて甲子園で戦うノウハウが蓄積されていないためではないでしょうか。

これがたとえば中国の異民族、モンゴルや満州族のような北方の異民族が中国を支配するのであれば、歴史の中で蓄積してきたノウハウを持っています。しかしノウハウどころか外国と戦った経験さえない自分たちが、海の向こうの土地を征服して、支配していく。現実として秀吉がそれを構想していたとは到底思えないのです。

推測その3「東シナ海貿易の権益を握ろうとしたのでは」

 結論。では秀吉はなぜ朝鮮出兵をしたのでしょうか?

それは、東シナ海貿易の権益を握ろうとしていたのではないか。これは東北大学名誉教授の平川新先生が出された解釈なのですが、僕はこちらが今のところ、いちばん納得できる説だと思います。

当時はいわゆる大航海時代。ヨーロッパ諸国の船が東シナ海まで来て、貿易を行っていた。その貿易の主導権を握りたい。そうした織田信長以来の思惑が秀吉にもあったのではないでしょうか。

傍証的なことを言うと、秀吉はもともと土地よりも、経済を重視するタイプでした。たとえば徳川に与えた領地は250万石。しかし豊臣は220万石しか持っていない。その代わり秀吉は、日本全国の港や金山、銀山を持っていた。秀吉は金の重要性をわかっていたのです。言ってみれば、かつて明との貿易を行った室町幕府的な感覚を持ち合わせていました。

そういう面から考えると、当時の南蛮貿易、ヨーロッパとの交易に秀吉は目を向けていたのではないでしょうか。その貿易の主導権を取りたい。しかし入り口で外国との交渉を間違えてしまい、結果として出兵することになった。そういうことだったのではないでしょうか。

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