嫌われ者でも「家康の信頼は絶大」ある男の最期 「徳川家康の最期」を見送ったある武将とは

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家康は健康に気をつけていただけあって、長生きした。「徳川四天王」の死を見届けてから、元和2(1616)年に74歳で死去している。

家康の最期を見送った「嫌われ者」

そんな家康の死を見送った側近がいた。本多正信である。正信は若いときに一向信徒の一揆を指揮し、家康に立ち向かったが失敗。亡命を余儀なくされたが、周囲の取り成しによって、帰ってくることができた。正信が家康に忠誠を誓ったのはそれからのことだ。

2人が蜜月の関係となってからは、家康が首を縦に振るか、横に振るかは側にいる正信の表情でわかったという。正信が目をつぶっていればノー、目を開いていればイエス――。正信はまるで家康の分身のようだった。

深い信頼関係を築いて、家康から「友」と呼ばれていた正信。それにもかかわらず、「四天王」の一人として数えられなかったのは、一向一揆で裏切ったこともあり、家臣団からの評判がよくなかったかららしい。

本多忠勝は同じ本多の一族だが、それだけに「一緒にされたくない」という思いが強かったようだ。忠勝は正信のことを「佐渡の腰抜け」と酷評していたともいわれている。軍議の席上では、榊原康政から「腸(はらわた)の腐れ者が戦のことが分かるのか」と罵倒されたこともあったという。

ちょっと周囲から浮きがちだった正信。家康が死去すると、周囲の武士からは「あれだけのご信託を受けながら、なぜ殉死しないのだ?」となじられている。さすが嫌われ者だが、正信は意に介することなく、こう答えたという。

「腹を切るまでもない。俺はとっくに死んでいる」

その言葉通り、正信は家康が死んでから、まるで抜け殻のようになり、後を追うように2カ月後に他界。享年79歳だった。


【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
福田千鶴『徳川秀忠 江が支えた二代目将軍』(新人物往来社)
山本博文『徳川秀忠』(吉川弘文館)

真山 知幸 著述家

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まやま ともゆき / Tomoyuki Mayama

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』シリーズ、『偉人名言迷言事典』など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は 『偉人メシ伝』 『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』 『日本史の13人の怖いお母さん』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)。「東洋経済オンラインアワード2021」でニューウェーブ賞を受賞。

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