7歳で酒浸り、戦場で寝返る小早川秀秋22年の生涯 秀吉の後継者候補が豊臣の天下を瓦解させるまで

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NHK大河ドラマ『どうする家康』 嘉島陸 小早川秀秋
幼きころ秀吉の後継者と目された小早川秀秋は、関ヶ原で何を思ったのでしょうか(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)
NHK大河ドラマ『どうする家康』第42回「天下分け目」では、家康と三成のどちらに諸将がつくかが描かれ両陣営が関ヶ原での決戦を想定している様子が描かれました。第43回「関ヶ原の戦い」では、15万人とも言われる兵が関ヶ原に集結し、ついに激突へ。関ヶ原の戦いが始まるまで、どちらの陣営につくか明確にしなかったとされる小早川秀秋について『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の著者・眞邊明人氏が解説します。

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小早川秀秋は、寧々の兄・木下家定の五男として生まれました。1585年に叔父である秀吉の養子になり、叔母である寧々のもとで育てられます。

このころ秀吉は内大臣に任じられ、紀州征伐、四国征伐の最中であり、天下統一を目前にしていました。

秀吉の養子となった秀秋

武士の出ではない秀吉には、その権力を強くするために身内を抜擢し、秀秋も、重要な秀吉の後継者候補として丹波10万石を与えられます。秀秋は、幼少期は蹴鞠や舞などを学び、貧者に施しを与えるなど心優しい少年で、秀吉や寧々にも期待されていたようです。

当時、実子に恵まれていなかった秀吉の後継者と目されていたのは、年長で従兄弟の羽柴秀次でしたが、秀秋はその秀次に次ぐ後継者候補でした。秀秋は、わずか7歳で元服し、関白・秀次に次ぐ中納言の位を与えられます。

このため諸大名は、秀秋(この当時は秀俊と名乗っていました)に取り入ろうと押し寄せました。その結果、秀秋は7歳にして毎晩、酒を飲むことになります。

現代では少し考えられない話です。この秀秋の状況が大きく変わったのが、秀吉の実子である秀頼の誕生です。

秀吉は実子・鶴松を亡くしていましたが、秀頼はすこやかに成長していました。このため秀吉は、まず後継者の第二候補である秀秋の身の置き場を考えます。

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