すべての日本人は、自分の物語を持っている。
だが、それを実感することは難しくなってしまった。
それは、この国が制度疲労を起こしたからだ。
高度経済成長期にできた政治システムの多くは、ひずみを起こした。人口増を前提としていたからだ。イノベーションを起こせない企業を守り延命させる一方で、突出した人材や革新的なアイディアが正当に評価されず海外に流出し続けた結果、経済は力を失った。この制度下で既得権益を得た者たちは当然、改革を許さない。
こうして先進国で唯一経済成長がマイナスになり続けた日本では、賃金が上がらず、税や社会保障の負担は増す一方となる。富は一部の富裕層に集中し、家を持つことはおろか結婚し子どもを持つことすら贅沢と言われかねない夢を持てない国になった。
それでも私たちは、より良い未来を手にするために、自分の物語を生きるために、考え、決断し、行動し続けることで成長するほかない。では、何から学ぶべきだろうか。
ある老舗歴史ゲーム会社が、その答えの一つを導き出そうとしていた。
メタバースの技術を利用することで、触覚や嗅覚を感じ身体まで動かせる現実世界と錯覚するような没入感のある3D仮想空間をつくりあげ、そのなかでAIを搭載した武将たちとリアルタイムに会話をし、考え、決断し、行動する。命のかかった決断を次々迫られる日本史上最大の乱世で、現実世界の人と同じように武将たちとコミュニケーションをとり、そのすべてが歴史を変えていくという体験型のゲームだ。
舞台は天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いである。
このゲームでの体験は、人をどう成長させるのだろうか。チームとは、リーダーとは。正義とは、悪とは。そして夢とは。あらゆる経験を、あらゆる人に提供することを思い描いたゲーム会社はどうなるのか。
こんな物語を脚本家、演出家の眞邊明人氏が描いた教養エンターテインメント小説『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の試し読み版として「プロローグ」をお届けします。
ある経営不振に陥ったゲーム会社の役員会
「副社長のおっしゃることには賛同しかねます!」
机を激しく叩く音が会議室に響き渡った。顔を朱に染めた30代半ばらしき男が、激昂した様子で声を張りあげた。
「私は意見を言ったのではなく決定を伝えたまでだ。君の賛同を得るつもりも必要もない」
男の視線の先にいる、白髪をオールバックに束ねた恰幅の良い60代とおぼしき男が言葉を返す。その声は重々しく、幾多の戦功を挙げた戦国武将さながらの威厳がある。切りつけられた言葉を跳ね返すような気迫も備わっている。会議室に緊張感が走った。
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