何をやらせてもうまくやる僕は何者にもなれない 小説集「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」一部公開
僕の才能
駅前の本屋さんで買った宣伝会議3月号。コンテストの一次審査通過者リストの中に、僕の名前はなかった。僕の中のどこかに眠ると信じた才能。マンガも、音楽も、広告も、何にでも手を出して、何も成し遂げられなくて、何者にもなれずただ汚くて臭いおじさんになってゆくだけの長い長い人生が、僕の目の前に横たわっていた。
「何をやらせてもうまくやる子」だと小学校の先生は家庭訪問で母にそう言った。何にでも興味を示し、何でもそこそこうまくやる。上達も早い。「でも少し飽きっぽいところがあるから、何か打ち込めるものが見つかるといいですね」。いま振り返ると皮肉にもよく当たった予言だったなと思う。
家にはたくさんの賞状があった。習い事の数だけあった。水泳、お絵描き、英会話。母は僕をフジグランのカルチャースクールに片っ端から通わせた。旧帝大を出て地銀に勤める優秀な父の、何てことのない家の出の短大卒の嫁。彼女に向けられた、近所に住む父方の祖父母の冷たい目。それらの賞状は彼女にとっての賞状でもあった。
いつでも母と、その向こうにいる祖父母の期待に応えた。勉強も結構できた。小学校のテストはいつでも満点だった。気を良くした祖父母がお金を出して、中学受験を目指して塾にも通った。でも落ちた。合格発表(僕にとっては不合格発表だったけど)の日、母は唐揚げをたくさん作ってくれた。黙って全部食べた。
結局、中高は地元の公立に通った。高校は県で3番目くらいの学校で、毎朝早起きしてチャリで通った。本当は父の母校に行きたかったが偏差値が足りなかった。父の年収や祖父母の期待を超えられないだろうと次第に分かってきた。畦道をガタガタと走る銀色のアルベルトの上でエナメルバッグが跳ねた。