上京40年「初めて帰郷した男」を迎えた見知らぬ母 浅田次郎・最新長篇「母の待つ里」(1)全公開
1 松永徹氏の場合
母の待つ里の駅頭に立って、松永徹(まつながとおる)は錦に彩られた山々や、円(まる)く展(ひら)かれた空を見渡した。
透き通った風を胸一杯に吸いこみ、都会の塵(ちり)を吐き出した。ゴルフ場の空気とは明らかにちがう天然の味がした。
紅葉もまさに見頃というのに、駅前は閑散としている。東北新幹線はウィークデイにもかかわらず満席だったのだから、在来線に乗り継いで一時間余というアクセスの悪さが、この名の知れた観光地をすっかり痩せさせてしまったのだろう。片道三時間で行けぬ場所がなくなれば、こんなふうに忘れられてしまう名所もあるにちがいなかった。
同じ列車から降りた中国人の家族連れが、一台きりの客待ちタクシーに乗ってしまった。若い父親の高揚ぶりからすると、貸し切りで観光名所を巡ったあと、近くの温泉に泊るのだろうか。だにしても、よほどの日本通である。
思い立って会社に電話を入れた。着信はほとんどがメールだが、松永徹は必ず音声で返信する。口でしゃべるよりも字を書くほうが手間だと信じているからである。
法事で帰省する、と秘書には伝えてあった。理由の虚実はともかくとして、私用の不在はうしろめたい。
「緊急の用件はございません。ごゆっくりなさって下さい」
会議も来客も会食もない2日間は奇跡と言ってもよかった。ならば、いっそのこと――。
「勝手を言ってすまないが、電源を切らしてもらうよ。まわりが気を遣うからね。明日の午後にはつないでおく」
一瞬とまどう間があって、秘書は「かしこまりました」と答えた。
まわりが気を遣う、という理由にはあれこれ想像が膨らむだろうが、さすが先代社長の折紙付きだけあって、目から鼻に抜ける。
親も故郷も捨てた男の、四十数年ぶりの里帰りだと聞けば、まさかその先は訊ねられまい。まして知らぬ人のない大企業の社長の、個人的な事情など。
松永徹は携帯電話の電源を落として、バスの停留所に向かった。
「相川橋には行きますか」
はい、と答えたあとで運転手は、しげしげと松永の風体を見た。土地の人ではなく、観光客とも見えぬ乗客は珍しいのだろう。
里帰りにふさわしい身なりを考えぬわけではなかったが、外出時に着る物といえばスーツかゴルフウェアかの二者択一で、迷うまでもなく白いワイシャツに地味なネクタイを締めた。
バスに乗るのは何年ぶりだろう。自宅も会社も地下鉄の駅に近く、しかも六年前に役員に上がってからは社用車が付いた。
運転手に言われて整理券を取り、座席に腰を下ろした。表示板を目でたどれば、相川橋はずいぶん遠くて、運賃も高かった。
車内には病院帰りと見える老婆が二人、たがいに耳が遠いのだろうか声高に話していた。体の具合について語り合っているらしいのだが、訛(なま)りがきつくてさっぱり聞き取れなかった。親も故郷も捨てたあげくに里の言葉すら忘れてしまったことになる、と松永徹は思った。
一時間に一本の列車に接続しているバスは、来るはずのない乗客をしばらく待ってから、今し目覚めたように胴震(どうぶる)いをして悠然と動き出した。
駅前通りには飲食店やみやげ物屋が並んでいるが、あらましシャッターを鎖(とざ)していた。好景気の時代に整備したらしい街並が、かえって傷(いた)ましい。北風が抜けるのか、山肌の紅葉とはうらはらに、街路樹は枝を残して乾ききっていた。
人影といえば、犬を連れて散歩をする老人だけである。冷えこむ朝夕を避けて、暖かな午下(ひるさが)りを選んでいるように思えた。
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