上京40年「初めて帰郷した男」を迎えた見知らぬ母 浅田次郎・最新長篇「母の待つ里」(1)全公開

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母が畝(うね)を跨(また)いで松永徹の腕を握った。腰は曲がっているが矍鑠(かくしゃく)たるものだ。

「トオル。おめはん、飯(まんま)食ったが」

「いえ、まだです。乗り継ぎのとき食いそびれてしまって」

太陽と風が穿(うが)った深い皺(しわ)を引いて、母はにっこりと笑った。作意や害意のかけらも感じさせぬ、聖なる母の笑顔だった。

「だば、ひっつみばこしェるべ。おめはんの好物だべァ」

それがどのような食べ物なのか、松永徹には思い及ばなかった。だが、好物なのだと母は言っている。

「それじゃ、遠慮なくごちそうになります」

母がスーツの袖をつんと引いた。

「なあ、トオル。そんたな他人行儀の物言いはやめてけろ。東京でなんぼ出世すたって、ここはおめの生まれた家(ええ)で、おらはおめの母親(あっぱ)だじゃ」

そう言って見上げる母の肩を、松永徹は思わず抱き寄せた。

 

曲がり家。馬とともに暮らした、このあたりの民家建築だということぐらいは知っている。

鉤形(かぎがた)に曲がった家の片側は厩(うまや)だが、当然このご時世に馬を飼っているわけではない。

母屋(おもや)は厩よりずっと広く、ぐるりと濡(ぬ)れ縁(えん)が繞(めぐ)っていた。縁先のドウダンはていねいに刈りこまれ、燃えるように赤い。

玄関と呼ぶにはあまりに無造作な入口には、紛れもない「松永」の表札がかかっていた。

忘れたのか、何もかも。ならばどうして、こんなにも美しいふるさとと、やさしい母と懐(ゆか)しい家とを、きれいさっぱり忘れなければならなかったのだろう。野心のかけらもなかったはずなのに。

土間に足を踏み入れて、松永徹は高い天井を見上げた。茅葺きの大屋根を無数の木組が支えていた。

「なじょした、トオル。さあさ、中さ入(へ)えって火さ当だってがんしェ」

「昔のまんまじゃろ」

生まれ育った家が珍しいわけはないのだ。松永徹はいっこうに戻らぬ記憶をそらとぼけて、導かれるまま母屋に入った。

「年寄りの独り暮らしにァ広すぎるだども、ここらの家はどごだりかごだり同じよなものだで」

たしかにこの広さは、民家というより屋敷である。母屋の土間だけでも二十畳ばかりもあって、上がりかまちの先には座敷が続いていた。

「どうだべ、トオル。昔のまんまじゃろ」

このあたりの家はどこも同じだと母は言ったが、それは年寄りばかりの村になってしまったという意味にちがいなかった。行方知れずになった一人息子がいつ帰ってきてもいいように、母は家の造作(ぞうさく)を何ひとつ変えなかったのだろうか。

そう思うと申し分けなさがつのって、靴を脱ぐことすらためらわれた。

「俺は、親不孝者だな」

竈(かまど)に燃えさかる炎をぼんやりと見つめたまま、松永徹は誰に詫びるでもなく呟いた。

母がかたわらに寄り添ってくれた。

「そんたなことはねえて。おめは大学ば出て、立派な会社さ入えって、もうはァこの上はねえて社長さんにまで出世すただど。お父(ど)さんも死ぬまで鼻高々じゃった。今さら無理っくりに帰(けえ)ってこなくてもえがった。おらは果報者だじゃ」

松永徹はたまらずに顔を被った。捨ててきたものが多すぎる。忘れてしまったことが多すぎる。これほど非情で、あとさきかまわぬ人生ならば、努力も能力も関係なく誰だって成功できるはずだ。

「なんだけえな、大の男がべそべそすて、みっだくねえど。おらが泣ぐだばまだすも、ほれ、すっかどせえ、トオル」

母の腰手拭は陽なたの匂いがした。

 

「おどさん、か」

仏壇に線香を上げて、松永徹はひとりごちた。

モノクロームの遺影に見覚えはない。仏間の鴨居には祖父母と曽祖父母らしき人々に並んで、軍服姿の若者の写真があった。戦死した叔父だろうか。

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