上京40年「初めて帰郷した男」を迎えた見知らぬ母 浅田次郎・最新長篇「母の待つ里」(1)全公開
「おめ、なじょすて嫁ッこ取らねんだ」
窓ごしに母が訊ねた。母屋から離れた裏庭に風呂場があるのは、防火のためなのだろう。
「東京じゃあ珍しい話じゃないよ」
「男衆(おどこし)が多いだべか」
「いや、男も女も独身が多いんだ」
「はァ、わげがわがらねな」
とうの昔に姿を消した木製の湯舟が、ここでは現役である。よほど手入れがよくてもこうまでは保(も)つまい。板が挿(す)げられているところからすると、老いた職人がいるのだろうか。
母は風呂場の外で薪を焼(く)べていた。雪の積もる冬はどうするのだろう。
「もういいよ。熱いくらいだ」
「だば、おらも一緒に入えるべ」
エッ、と松永徹は声を出して驚いた。
「ハハッ。たまげるでねえ、冗談だわ」
何がそんなにおかしいのか、母はしばらく笑っていた。
そのうち枯葉を踏む足音が外を回って、たてつけの悪い引戸が開けられた。
「冗談だろ」
「んだがら、冗談だてば。背中(しぇなか)流すで、上がってこ」
「いいって」
「良ぐねど。男やもめだば、背中も垢(あか)まみれじゃろ」
湯気の中に顔をつき入れて、母はまたケタケタと笑った。
松永徹には子を持つ親の気持ちなどわからないが、ここは肚(はら)をくくって甘えねばならないと思った。
簀子(すのこ)の上に大あぐらをかいて開き直れば、母は相変わらず笑い続けたまま、素手で背中を流してくれた。
松永徹は目を瞑(つむ)った。わが子を愛しみ育てた母の手だった。
「あややァ、とても六十過ぎた男(おどこ)の背中(しぇなか)とは思えねな。東京は食い物が違(つが)うだか。そでねば、社長さんともなれァ、なぬか特別のことでもなさるだがなァ。ピッカピカでがんす」
特別のこととは、ジムだのエステだのを指しているのだろうか。居間にはひどく旧式のテレビが置かれていたから、当たり前の情報は入るのだろう。
世間の出来事を何もかも承知の上で、母が時間を止めているのだとしたら、それはとても幸福な暮らしだと松永徹は思った。
「一緒に入ってもいいよ」
母の手が止まった。
「ありがどがんす。だども、やっぱすお恥(しょ)すいわ」
毀(こわ)れ物でも扱うように倅の背に湯をかけて、母は静かに風呂場から出て行った。あとには夜の黙(しじま)が残るばかりだった。
七時のニュースもきょうばかりはどうでもよかった
「腹へったべ。じきに飯(まま)さ炊けるでなァ」
「急がなくていいよ。ちびちび飲(や)ってるから」
土間の隅に湯沸器の付いた台所がある。竈には羽釜がかけられて、飯の炊き上がる匂いがした。
バスの窓から見た景色から察すれば、新米にちがいない。最も出来のいい米は、どこでも地元で費消すると聞いた。だとすると、きっとびっくりするような飯が食えるのだろう。
燻(いぶ)した沢庵を肴(さかな)に炉端で燗酒を酌んでいるうち、睡気がさしてきた。手枕で横たわれば、まさに極楽の気分である。
熾火は思いのほか暖かい。糊(のり)の利いた浴衣(ゆかた)と丹前(たんぜん)。ブラウン管のテレビから流れる七時のニュースも、耳をすり抜けてゆく。中東情勢や中国の国内事情など、どれもこれも松永徹にとっては聞きのがせぬ内容だが、きょうばかりはどうでもよかった。
面倒な話はしてくれるなと釘を刺されてから、松永徹の口は重くなった。つまり、この家の事情や母の暮らしについて、話材にしてはならないのだ。すると、母からの問いかけに応じるほかはないのだが、たまに帰郷した息子は誰だってそんなものだろうと思えば、それはそれで居心地がいい。
そもそも独り暮らしには慣れ切っている。若い時分から会社帰りの付き合いは避けてきたし、今も接待や会食のない日はさっさと帰宅して、テレビを相手に晩酌する。
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