「Netflixのヒットをなぞる作品が量産される」「“聖人君子”の俳優に“目が離せない芝居”ができるのか」オダギリジョーが語る“縛りだらけ”の時代

Netflixでヒットした作品をなぞる企画が次々と生まれ、俳優には私生活までも“整っている”ことが求められる――。
多様性が薄れ、表現が均質化していくこの時代に、俳優はどうあるべきなのか。芸歴25年、49歳になったオダギリジョーに「配信全盛時代の危うさ」と「表現者としてのリアル」を聞いた。
「面白くなければ、俳優じゃない」
――今年49歳を迎えるオダギリジョーさん。小さな小劇場からキャリアをスタートし、25年にわたり第一線で活躍し続けてきました。時代が大きく変化する中で、オダギリさんが考える「俳優の役割」とは?
そもそも俳優に役割があるのかわかりませんが(笑)……。俳優に必要なものを言葉にするなら、やっぱり俳優は“面白くなければいけない”と思うんです。
――面白さ、ですか?
はい。僕たちの世代から見ると、昭和の俳優たちは生き方にも演技にもその人らしさがあふれていて、“荒々しさ”や“生々しさ”のような独特の魅力を感じていました。萩原健一さんにしても勝新太郎さんにしても、その人生や人としての濃度が、そのまま芝居の魅力につながっていた気がします。
でも今は、俳優個人の私生活にまでコンプライアンスが求められ、少しの失敗も許されない空気がある。その“安全圏”に縛られた聖人君子から、人を惹きつける深い表現が本当に出てくるのか。僕はそこに強い疑問を感じています。
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