「Netflixのヒットをなぞる作品が量産される」「“聖人君子”の俳優に“目が離せない芝居”ができるのか」オダギリジョーが語る“縛りだらけ”の時代
音も同じです。どこに何の音を配置するかによって、場面の空気感や緊張感、登場人物の心の揺れを伝えることができます。玉田監督と話していたのは、“静けさの中にある美しさ”をどう表現するかということ。あえて過剰な演出はせず、観る人の内側にじんわりと染み込んでいくような表現を目指しました。
感情を見つめ、言葉にして、演技へと昇華する

――劇中では、息子を亡くした喪失感や、妻・恵子(松たか子)との別居による葛藤など、深い感情が丁寧に描かれています。オダギリさんは、そうした“ネガティブな感情”と、どのように向き合って演じられたのでしょうか?
喪失感や怒りといった大きな感情は、時に“道具”として使えるし、時に“燃料”にもなるんです。若い頃に学んだ『メソッド』という演技法に取り組んできたなかで、自分の感情や記憶を再体験する訓練を積んできました。
自分の過去の経験をラベリングしていくことで、自分の感情を整理し、客観視できるようになる。そうして初めて、感情を表現として昇華することができるんです。
過去だけではなく現在も、感情は無理に抑え込まず、“いま自分が何を感じているのか”を素直に受け止める。それが、役と向き合うときも、自分自身に正直でいるための姿勢だと思っています。
――これまでのお話からも、表現へのこだわりや作家性を大切にされている印象を受けます。その感性は、どのように育まれてきたのでしょうか?

やはり原点は、20代前半に学んだメソッド演技だと思います。自分の感情や記憶をとことん掘り下げる訓練を経て、自分の内面や核である個性を見つめ直すことができました。それがいまでも習慣のように残っています。自分の感性と向き合う姿勢は、そこで身についた気がします。
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