「Netflixのヒットをなぞる作品が量産される」「“聖人君子”の俳優に“目が離せない芝居”ができるのか」オダギリジョーが語る“縛りだらけ”の時代

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――表現は内面から生まれる、という感覚でしょうか。

そうですね。“人間性が藝に通じる”って、よく言いますけど、まさにそれですよね。どんな日常を送って、どんなことを感じているのか――そうした日々の積み重ねが、そのままその人の表現に影響すると思っています。

僕は日常のなかで、心がざわついた瞬間や『面白いな』と引っ掛かったことをスマホにメモしておくんです。そういう違和感や気づきが、あとで脚本を書くときのヒントになったりする。自分の心の動きを丁寧に見つめることが、“自分を知る”ことにもつながって、自分にしかないオリジナリティを理解することになるんですよね。

乾いた心が交差する、その静かな瞬間に希望を込めて

『夏の砂の上』
(C) 2025映画『夏の砂の上』製作委員会

――愛を失った男、愛を見限った女、愛を知らない少女……それぞれの痛みと向き合いながら、「乾いた心が、かさなるとき」というコピーが印象的でした。この言葉には、どんな思いが込められているのでしょうか?

物語の舞台は、“雨の降らない長崎”。登場人物たちは皆、何かしらの乾き――孤独や満たされなさを抱えて生きています。でも、この作品が描きたかったのは、ただすれ違っていく姿ではありません。たとえ直接は伝わらなくても、誰かを想う気持ちは、静かに重なっていくものだと思っています。

コピーに込めたのは、“乾いたままでも、人はつながれる”という希望だと思います。視線が交わらない4人のビジュアルも、それぞれが別の方向を見ていながら、心のどこかでは響き合っている――そんな関係性を象徴しています。

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