「Netflixのヒットをなぞる作品が量産される」「“聖人君子”の俳優に“目が離せない芝居”ができるのか」オダギリジョーが語る“縛りだらけ”の時代

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若いときはそうしたロジックをうまく説明できないまま、ギャラの差でそうした言い方をしていたのでしょうが(苦笑)、浅はかな表現ですね。ただ、当時の自分は、テレビやCMなどで、ある程度生活の土台を築いたうえで、自分の本当に大切な表現に集中する――そんなスタンスでいたいと思っていたのは確かです。

「これは映画でなければ語れない」と思った瞬間

映画『夏の砂の上』
映画『夏の砂の上』7月4日(金)公開 配給:アスミック・エース (C) 2025映画『夏の砂の上』製作委員会

――主演と共同プロデューサーを務めた映画『夏の砂の上』(7月4日公開)は、第27回上海国際映画祭で邦画として23年ぶりとなる審査員特別賞を受賞しました。脚本を読んで「これは映画にすべきだ」と感じたといいますが、なぜそう思ったのでしょうか?

2000年代初頭は、日本映画がもっと自由で、多種多様な作品があふれていました。でもこの10〜20年は、明らかにそうした多様性が失われてきた。そんな中で『夏の砂の上』の脚本に出会って、『まだこういう作品をつくろうとしている人たちがいるんだ』と、心を動かされたんです。出演を決めたのは、その思いに共鳴したからです。

――作る側の信念が、しっかりと形になったんですね。

原作に強く惹かれた玉田真也監督は、自身の劇団で舞台化もしているほどの思い入れがありました。その熱がプロデューサーを動かして、映画化が実現したんです。舞台では“家”という限られた空間(ワンシチュエーション)で物語が展開されますが、映画なら視点の切り替えやロケーション、象徴的な映像表現によって、もっと多層的に描ける。その可能性に、監督も真剣に挑戦していました。

――今回は俳優としてだけでなく、共同プロデューサーとしても深く携わられています。「俳優の立場を超えて、経験を注いだ」とおっしゃっていましたが、具体的にはどのような関わり方をされたのですか?

脚本だけでなく、編集や音響といった“仕上げ”の工程にも深く関わりました。実はそういった工程こそが自分の得意分野なんです。例えば編集で言うと、特に意識したのは“視線の流れ”です。どこでカットを切るか、どれくらいの長さで見せるか――そうした編集の工夫ひとつで、観る人の捉え方や感情の動きが大きく変わってくるんですよ。

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