上京40年「初めて帰郷した男」を迎えた見知らぬ母 浅田次郎・最新長篇「母の待つ里」(1)全公開

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目に憶えがないのなら、音や匂いはどうだろうと思い、松永徹は合掌したまま耳を敧(そばだ)て、鼻から息を吸いこんだ。

鳥の囀(さえず)り。薪(まき)の爆(は)ぜる音。畳を踏む母の気配。ほかには何も聴こえない。

土と森の匂い。竈から漂い出る煙。線香と仏花の香り。母の炊(かし)ぐ鍋。やはりほかには何もない。

「トオルゥ、こっちゃこォ。腹へったべ」

六畳と八畳の座敷が四間、それぞれを隔てているのは襖(ふすま)と板戸だから、家族のプライバシーは保てまい。だがそうした仕切りを取り外してしまえば大広間になり、儀式や寄り合いには重宝なのだ。

そう思いはしても、記憶にあるのはこの家ではない。松永徹の若かったころには、こうした間取りの家がいくらでもあった。たとえば、ビジネスホテルが普及する以前の商人宿。たとえば、スキー場や海辺にペンションが登場する前の民宿。

だから松永徹にとっては、懐(なつか)しさこそあれ珍しくはなかった。しかしむろん、その懐しさは個人的な感情ではない。

南向きの八畳間は居間であろうか。中央に囲炉裏が切られており、そのまわりだけがつややかな板敷になっていた。

「電話の一本もけれァ、こしェておいたんだが。さあ、たんと食(け)ェ」

大きな椀に倅(せがれ)の大好物だという汁を盛って母は勧めた。このあたりの郷土料理なのだろうか、里芋と牛蒡(ごぼう)と葱がたっぷりと入った、醬油味の団子汁である。団子は母の指の形に伸(の)されている。

障子ごしに柔らかな午後の光が射し、熾(おき)の燃える炉端は暖かかった。

「ひっつみ」

「んだ、ひっつみ」

団子を指で引っ張って摘まむから、ひっつみなのだろうか。一口啜(すす)ると、馥郁(ふくいく)たる香気が体を弛(ゆる)ませた。うまいまずいではなく、東京から背負ってきた胸の荷を、何もかも天に昇せてしまうような味だった。

二人はしばらく黙りこくって遅い昼食を摂った。母は健啖(けんたん)な人らしかった。

「お名前は」

熱い汁を啜りながら、さりげなく訊ねた。腹が落ちつくといくらか正気を取り戻したのだった。

「親の名前さ訊ぐ倅がどこさおる」

母は笑って答えた。

「いえ、忘れたわけじゃないんです。お名前ぐらいは――」

「そんたな他人行儀の物言いはやめてけろ」

松永徹は炉端に椀と箸を置き、改めて訊ねた。

「では、親不孝な息子が生まれ故郷を捨てたうえに、母親の名前まで忘れてしまったと思って下さい」

「ふうん」と母は呆(あ)きれたふうに溜息をつき、欠けた前歯で沢庵(たくあん)を器用に噛んだ。

「もういっぺん言(へ)ってけろ」

「めんどくしェ話はそこまでにすてけろ」

咳払いをして松永徹は言い直した。

「俺は四十年も勝手気ままに暮らして、この家もおふくろの名前も忘れちまったんだ。教えてくれよ」

今度は「ふん」と肯いてくれた。

「ちよ。松永ちよ」

「漢字の千代かな」

「うんにゃ。平仮名であんす。童(わらす)の時分にァ片仮名で書(け)えたども、花巻の工場(こうば)さ働ぎに出たとぎ、戸籍のまんまでねどわがねがらって、それから平仮名のちよ」

「いつごろの話だろう」

「んだなァ。終戦の翌年のこって、駅までは馬ッこに引かれでな、汽車さ乗ってった」

母の齢(とし)を算(かぞ)えた。八十六と言っていたから、一九四六年にはまだ子供だろう。苦労をした人なのだと松永徹は思った。「おめ、うめえどがまずえどが、言(へ)ったらどだ。張り合(え)えのねえやづめ」

「うまいよ。声をなくすぐらい」

「東京にァうめえものがなんぼでもあるすけ、お世辞じゃろの」

「そんなことはないって」

差し出した椀に、母はおかわりを盛ってくれた。

「のう、トオル。めんどくしェ話はそこまでにすてけろ。おらはおめの顔ば見るこどができただけで良(え)がんす」

母は松永徹の口を封じた。

鳥が囀り、薪が爆ぜる。誰もおらず、何もないところに来てしまったと、松永徹は思った。

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