何をやらせてもうまくやる僕は何者にもなれない 小説集「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」一部公開

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自分の人生に久々に期待が持てたのは、受験勉強の憂さ晴らしで描いていたマンガが地元の新聞社の小さな賞に引っかかったときだった。応募総数が20くらいしかない賞の佳作なんてたかが知れているが、何というか、自分の価値のない人生の埃っぽい暗闇に、か細い一筋の光が差したような気分になった。

自転車のマンガだった。主人公は遠くの高校に自転車で毎日通ううちに気付けばすごい脚力を獲得していて、顧問に無理やり入れられた高校の自転車競技部で才能を開花させるという話だった。描いたのは1話だけだったから、ちゃんと続きを描こうと思った。母親は近所のデオデオでペンタブを買ってくれた。嬉しかった。

3話まで描き進めた。それなりのページ数になったから出版社に送ってみようと思った。その月、少年チャンピオンで同じような設定のマンガの連載が始まった。読んだ。レベルが違った。話の作り方も、画力も、センスも、何ひとつ勝てないとすぐに分かった。マンガを描くのはやめた。大学受験に集中しようと思った。

高校の成績は良かったから、指定校推薦で明治に入った。早稲田落ちの一般受験の連中は見下したような感じでムカついた。父の母校から同じ学部に来た人もいた。彼も早稲田に行きたかったと言っていた。模試だと早稲田もA判定だったと偉そうにしていた。同じ学歴になるんだからコスパが悪い人生だなと思った。

軽音サークルでセンスがあると褒められた

サークルは、なんとなく軽音サークルに入った。大手じゃないし、初心者も多くて居心地が良かった。授業とバイトがないときはだいたい部室にいた。先輩のお下がりのフェンダーを安く譲ってもらった。RADWIMPSのコピーを何曲かやって、その後オリジナル曲も作った。センスがあると褒められた。嬉しかった。

1年生同士で「ザ・早稲田落ちズ」という名前のバンドを組んだ。「出れんの!?サマソニ!?」という、素人バンドがサマソニに出られるオーディションの応募が始まっていたから、例のオリジナル曲を演奏した動画をYouTubeにアップした。そのリンクをFacebookやTwitterでもシェアした。サークルだけじゃなくて学部の友達なんかもシェアして、僕のバンドに投票してくれた。みんな褒めてくれた。嬉しかった。

サマソニには出られなかった。Twitterで回ってきた、同じ大学の1年の動画を見たらレベルが違った。曲もいいし声も腕もいい。ギターボーカルはイケメンで既にたくさんファンがいた。調べてみたら東京生まれで内部校出身。お父さんは有名なギタリスト。平凡な田舎者には何ひとつ勝てないと思った。

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