実のところ独裁者になるということは、降りられないランニングマシンの上で走り続けるようなものなのだ。彼らはその立場上、「穏やかに辞任する」という出口戦略を持ちえず、常に脅威にさらされている。
独裁者は自らを支える側近たちを飼い慣らさなければならない。そして、彼らの非道な行動の背後には、裏切りや暗殺、叛乱への恐怖がある。
今回、政権のパワーゲームという視点で独裁制を読み解く『独裁者の倒し方:暴君たちの実は危うい権力構造』より、一部抜粋・編集のうえ、お届けする。
民衆の抗議行動がもつ力
政治権力は銃身から生じる、という有名な言葉を毛沢東は残したが、彼は間違っていた。政治権力は、銃を使う必要のない人々のもとにある。
政権は、自国民に銃を向けたときには、脆弱になるリスクを冒す。銃身が比喩ではなくなり、支配力を維持するための現実の戦略になったとき、独裁者は失脚するかもしれず、政権は崩壊しうる。
一般大衆が怒りを爆発させ、もはや銃なしでは制御できなくなったら、独裁者は救いのない決断を迫られる。彼らの多くにとって、それは自身の最後の決定となる。
たいていの独裁者には、民衆の抗議行動は、すべてを失うようなリスクではないが、脅威にならないというわけではない。独裁体制の17%ほどは、民衆の抗議行動の結果、倒れる。
独裁者は誰もが国民を支配することに執着している点を踏まえると、これは驚くほど大きな数字だ。
民主体制は、反対意見に対処するのが素晴らしくうまい。もしあなたが政府に対して抗議をしたければ、堂々とそうできる。そうすることが許されているばかりでなく、警察はデモ参加者が行進するときに守ってくれる。
市街で口々に大声で繰り返し叫んでいる人々について、多くの国家元首は脳細胞の1つさえ振り向ける必要がないという、強さの表れだ。



















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