何をやらせてもうまくやる僕は何者にもなれない 小説集「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」一部公開

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サークルもあまり行かなくなった。カッコつけて吸っていたタバコも吸わなくなった。ギターもあまり弾かなくなった。去年の引っ越しで捨てた。なんとなくゼミに入って、なんとなく就活を始めた。やりたいことは何もなかった。手当たり次第に会社説明会に行った。なんとなく、父と同じ銀行のだけは行かなかった。

電通の説明会で頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。汐留の大きな本社ビルの大きなホールは満席。パーカを着た30歳くらいの社員は明治出身。音楽を諦めて、やりたいこともなくて、なんとなく電通に入ったのだという。コピーライターとして賞をたくさん取っていた。僕も知っているコピーもこの人が書いたと知った。ここだ、と思った。

「何も成し遂げられなかったけど、ムダなことなんてなかったなと思うんです」。器用貧乏と言われ、何でもできるようで何もできないもどかしさ。音楽活動も中途半端にやめてしまったという。「でも、それでも全てのことには学びがあり、それが今の仕事に繋がったり繋がらなかったりするんですよ」。泣きそうになった。

今度は言葉で、誰かを感動させたいと思った

自分の人生は無価値の連続だと思っていた。様々な挑戦はしたけれど、結果として価値あることを何ひとつ成し遂げられなかったのだから。でも、だからこそ、その溺れそうな時間の中で僕は、何か価値あるものを獲得していたのかもしれない。僕のやってきたことを振り返ると、それらはすべて表現だった。今度こそ、今度は言葉で、誰かを感動させたいと思った。

エントリーシートに僕のすべてを書き記した。怠惰のせいか不運のせいか、収穫には至らなかった数々の僕の才能のリンゴ。地面に落ちて腐って、肥料となって今度こそ大きなリンゴを実らせる。僕は本気でそう信じていた。あのコピーライターが有名なコピーライターの息子で、中途半端にやめたと評していた音楽活動でもメジャーデビューまで行っていたなんて、そのときは知らなかった。

今年で30歳になります。説明会のあの日のことを今でも思い出すんです。帰りの電車で、何だか救われたような気持ちになって、実は少し泣いたんです。でも書類落ちでした。納得できなくて、あのコピーライターのTwitterアカウントに長文のDMを送りました。何年経っても返事が来ません。今は生命保険の会社で働いています。1年目から郡山の支店に転勤になって、去年東京に戻ってきました。

次ページどこにも引っかからなかったんです
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