徳川家康の「桶狭間」後が何ともしたたかすぎる訳 信長を大逆転させた戦略と同じOODAループの要諦

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徳川家康
徳川家康は優秀なビジネスパーソンでもありました(イラスト:えのすけ/PIXTA)
2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の放送開始に向け、徳川家康に注目が集まり始めました。それを受け、ここでは若き日の家康、松平元康と名乗っていたころに起きた戦いを、歴史にあまり詳しくない方も理解しやすいようにビジネスの視点を交えて解説していきます。
今回取り上げるのは桶狭間の戦いです。織田信長が一気に戦国時代のスターダムにのし上がるきっかけとなった戦がどういうパワーバランスで起きたのか、そして元康はそこでどういう意思決定をしたのか。「今川義元がPDCAを徹底した武将だったという根拠」(12月3日配信)に続く後編として、『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』を上梓した眞邊明人氏が解説します。

圧倒的に不利な状況で重要なのは「観察」

桶狭間の戦いは、今川軍が2万5000、織田軍は2500〜3000という圧倒的な兵力差があるなか始まりました。絶体絶命の織田信長は一か八かの機動戦を試みます。いわゆる「OODAループ」を回すわけです。OODAループは、日本のビジネスシーンでは広く取り入れられてきたPDCAに比べると耳慣れないものかもしれません。

このメソッドは、ジョン・ボイドというアメリカの航空兵士が作ったもので、状況を「観察」し、「仮説」を立てて「選択」をし「行動」するという一連の流れを、高速で回して戦況を改善する手法の一つです。現在はアメリカの国防省にも採用されている考え方です。

PDCAとOODAループの最も大きく違う点は、じっくり計画を立てるのではなく、与えられた状況で瞬時に観察し仮説を立てることにあります。

信長はこのとき状況をこう観察し、以下のような仮説を立てたと思われます。

まずは2万5000という敵の兵数が一つの塊なのか、それとも分散されているのか。なおかつ、この圧倒的な兵力差で勝つ可能性があるとすれば、敵将である今川義元ただ一人を討ち取ることができるかどうか。

こうなると信長の戦略は義元がどこにいるかという方向と範囲に限定され、義元の居場所が見つかれば勝つための仮説が立てられ、勝つための選択もできるという流れになります。幸いなことに信長は、桶狭間山とも田楽狭間とも言われる、義元の居場所を特定できました。このとき、今川軍は前線に2万を、そして義元の本陣5000は後詰めに配置していました。

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