徳川家康の「桶狭間」後が何ともしたたかすぎる訳 信長を大逆転させた戦略と同じOODAループの要諦

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そのうえで考えられる選択肢1としては、そのまま今川の領地を乗っ取ることですが、この場合は完全に今川家を敵に回します。

選択肢2は、今川の守備兵から「一緒に城に入って守ってくれ」と言われたところで入城すること。これは織田に完全に敵対という意思を示すことになります。しかも今川の配下ということを決定づけてしまうわけです。元康としては、今川家という大企業の営業課長のような地位にとどまって会社を取り戻せないことになる。立場がまったく変わらないということになります。

空き城になった時点で入城

元康がとったのは上記の2つではない3つ目の選択でした。ギリギリまで耐えたことで今川の守備兵が逃げて空き城になった時点で入城という選択です。これによって、今川家に対して守備兵が逃亡したので入城したというエクスキューズができます。基本的には本部からの指示、本社からの指示があるまで私は動きませんでしたという事実をつくりました。

義元が討たれたとはいえ、後継の息子は健在だったわけですから、会社で言えば新社長はすぐ決まります。もし守備兵に、元康が勝手に岡崎城に入ったと報告をねじ曲げられでもしたら、今川方につく形になったうえに本部の話を聞かなかったという扱いになるわけですから、その後の立場は悪くなるわけです。

しかし今川の守備隊が逃げてくれたことで「本部の指示がなかったからだよね」という既成事実を作れたため、岡崎城に入るという大義名分ができました。一方、織田に対しては今川兵がいなくなってから入っているわけですから、今川方とはとらえられません。

結果、今川にも織田にも、岡崎城に入った元康が味方なのか敵なのかがわからない、という状態になります。

この非常に難しい判断を、弱冠20代前半だった元康が行えたというのは非常に素晴らしいことです。そのまま城を乗っ取った場合、今川と組んだ場合、そうでないパターンと考えて、仮説選択を行っています。OODAループというのは自分で状況をコントロールできるようにするものです。

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