実は優秀な経営者だった今川義元
まず、この桶狭間の合戦が起こる前の松平元康(徳川家康)がどういう状況であったかというと、今川義元率いる今川家に取り込まれた状態でした。
当時の義元は「海道一の弓取り」、つまり東海地区で絶大な力を誇っていた戦国大名です。この状況を現代のビジネスにたとえて言うなら、松平家という中小企業は、今川義元が経営する今川家という大企業に吸収合併され子会社扱いされていたということ。
しかも元康はその子会社の社長ですらなく、本社営業部に配属された課長のような状態でした。戦で活躍すれば岡崎城の城主に戻してやる、つまり営業成績を上げれば自分の父親がいた会社の社長にしてやると言われていたような状況です。
それゆえ元康としては、今川家という大企業で営業成績(戦果)を上げ、岡崎城に城主として戻ることが当時の最大のミッションでした。
今川義元という人物を大企業の社長になぞらえましたが、そのことに違和感を抱いた方もいらっしゃるかもしれません。それは義元が、現代では不当な扱いを受けているからです。
ドラマや映画、歴史を扱ったゲームなどでは、でっぷりと太って公家かぶれしており、信長にあっけなく討たれてしまった無能な人物のように描かれがちです。しかし義元は、実際は非常に有能な経営者でした。
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