6年前の父に「今の私」伝えた彼女の時空超えた旅 小説「さよならも言えないうちに」第4話全公開(3)
ゴリゴリと豆を挽く音で目が覚めた
東北地方太平洋沖地震は、二〇一一年三月十一日の金曜日、十四時四十六分に三陸沖(牡鹿(おしか)半島の東南東百三十キロメートル、深さ二十四キロメートル)を震源として発生した日本の観測史上最大規模の地震である。地震の規模はモーメントマグニチュード九・〇で、この地震による被害は「東日本大震災」と呼ばれることになった。
名取市では関連死を含めて九六〇名以上の市民が犠牲となり、最大で一万千名を超える方々が避難を余儀なくされた。この震災の特徴は、揺れによる被害がその地震規模の割に比較的小さかったのに対して、津波による被害が甚大であったことだ。
名取市閖上に津波が到達したのは、地震発生から約一時間が過ぎた十五時五十二分だった。この時間のズレが、賢吾のように、地震発生直後、一時は避難したにもかかわらず自宅に戻ってしまい、津波の犠牲になってしまうというケースを生んだ。
賢吾と路子が住んでいたのは、名取市消防署閖上(ゆりあげ)出張所近くの住宅街で、路子の好きな「閖上のたこ焼き」を売る店は、自宅近くの湊(みなと)神社の向かいにあった。ここで売られていたたこ焼きは他で売られているものとは違い、中身がぎっしりと詰まったたこ焼きを竹串に刺し、甘辛いソースだれをかけて食べる。見た目は大きめの串団子のようなもので、普通のたこ焼きに比べると歯応えがある。
幼少の頃から、この閖上のたこ焼きを好んで食べていた路子は、上京して友人からおいしいとすすめられて食べた関西風のたこ焼きを「たこ焼き」として認めることができなかった。
閖上のたこ焼き。それは、父、賢吾の干渉が嫌で地元を捨てたはずの路子が、唯一故郷を懐かしく思い出す食べ物だった。
ゴリゴリと豆を挽(ひ)く音で目が覚めた。
豆を挽いているのは、涼しげな目をした少女だった。高校生? 中学生か? 色白で、物憂げな表情に見覚えがある。トイレに姿を消した白いワンピースの女……、いや、さっきコーヒーを淹れてくれたウエイトレスに似ている。似ているというか、本人に違いない。後ろで束ねていたロングの髪がショートになっていたから、すぐにはわからなかった。
(本当に、六年前に戻ってきたのかもしれない)
路子はキョロキョロと店内を見まわし、過去に戻ってきた証拠となりそうなものを探してみた。だが、カウンター内で豆を挽く少女以外、これとわかる違いを見つけることができなかった。まるで、この喫茶店だけ時間が止まっているかのように……。
カランコロン
「いらっしゃいませ」
見た目の幼さとは裏腹な、落ち着いた数の声が響く。
ゴツゴツと重い足音を立てながら路子の父、賢吾が店内に入ってきた。
路子の心臓が跳ねあがる。六年間、この日の賢吾の姿を忘れたことはなかった。賢吾は路子の姿を見つけると、頭をかきながらテーブル前まで歩みより、
「悪かったな」
と言って、小さく頭を下げた。
「何が?」
「待っただろ?」
「あ、全然」
「そうか?」
「うん」
路子の記憶がよみがえる。
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