6年前の父に「今の私」伝えた彼女の時空超えた旅 小説「さよならも言えないうちに」第4話全公開(3)

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「親だからな、悪態つかれたってなんだって、子供が元気ならそれでいい。それだけでいいんだ」

「お父さん」

路子の目から大粒の涙がこぼれた。

賢吾はそんな路子を見て、あからさまな苦笑いを見せる。

娘の涙にどう対処すればいいのかわからないのだ。

不意に、

「あ、これ……」

と、路子の視線から逃げるようにウエストポーチに手をかけると、中から何かを取り出して路子の前に差し出した。

「お前が結婚する時になったら渡そうと思って、貯めてたんだ」

それは、預金通帳と印鑑だった。

「ちょうど、よかった」

賢吾はそう言って、ニッコリほほえんだ。

「お父さん……」

ピピピピ、ピピピピ……

アラームが鳴った。

「あ……」

路子が思わず声を上げると、幼顔の数と目があった。

数は何も言わない。

でも、

(時間です)

と、ゆっくりと頷(うなず)いてみせた。

「いいんだよ、幸せになって」

「お父さん、私……」

「いいんだよ、幸せになって。父さんの楽しみなんて、それくらいしかないんだから……」

優しい顔だった。

きっと父は、私が生まれた時もこんな顔をしていたに違いない。

ピピピピ、ピピピピ……

「ちょっと、トイレ……」

アラームが鳴ったのをいいことに、賢吾は席を立った。

照れくさそうに顔をくしゃくしゃにしている。

「お父さん!」

トイレに向かう賢吾を路子は思わず呼び止めた。これが最後の別れになるかもしれない。まだまだ、言いたいことはたくさんあるのに。

「……ん?」

振り向く賢吾。

「私」

路子は溢(あふ)れる涙を拭い、

「お父さんの娘でよかった」

と、必死に笑顔を作ってみせた。もしかしたら引きつっているかもしれないし、うまく笑えなかったかもしれない。それでも、父を笑顔で見送りたかった。父がわざわざ私の大好きなたこ焼きを持ってきたのも、きっと、私を喜ばせようと、笑顔を見たいと思ったからだ。

だから……。

(最後にお父さんが見た私の姿が笑顔でありますように……)

そう心から願った。

「ありがと」

突然何を言い出すのかと、呆然(ぼうぜん)と路子の顔を見つめていた賢吾であったが、

「ああ」

と、答えると洟(はな)をすすりあげながらトイレへと消えた。

賢吾の姿が見えなくなると、路子は一気にコーヒーを飲みほした。その瞬間、体がフワリと軽くなる。周りの景色が上から下へと流れ出す。

(戻るんだ。父のいない現実へ)

まぶたの裏に賢吾の嬉(うれ)しそうにほほえむ顔が焼きついている。

父を笑顔にできた。

よかった。

路子はゆっくりと目を閉じた。

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