6年前の父に「今の私」伝えた彼女の時空超えた旅 小説「さよならも言えないうちに」第4話全公開(3)

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

気づくと、トイレに行ったはずの白いワンピースの女が路子の目の前に立っていた。

カウンターの中からロングの髪を後ろで束ねたウエイトレスがこちらをじっと見つめている。大人の数である。戻ってきた。現実に。

「どいて」

目の前に立つ白いワンピースの女にそう言われて、路子はあわてて席をゆずる。
余韻に浸っている暇もない。

白いワンピースの女が席に着くと、新しいコーヒーをトレイに載せた数がやってきた。

「いかがでしたか?」

数は路子の使ったカップと白いワンピースの女に出すカップを入れ替えながら尋ねる。

「私……」

カランコロン

路子が何かを言いかけた時、カウベルが鳴って祐介が入ってきた。

「路ちゃん」

そう呼びかける祐介の言葉は弱々しい。路子との間にも数メートルの距離が空いている。路子は昼間、自分が結婚できないと言ったのを思い出した。祐介はその言葉を気にして距離をとっているのだ。

(いいんだよ、幸せになって)

父の言葉が耳に残っている。

路子は不意に祐介のそばに歩みよると、数に向かって、

「私、この人と幸せになりたいと思います」

と、宣言した。

「きっと、父も祝福してくれると思うので」

過去に戻って「いかがでしたか?」という数の問いかけへの返事だった。

「え?」

昼間とは態度の違う路子に、祐介は驚きを隠せない。

「そうですか」

数はそう答えると、わずかに笑顔を見せた。

「はい。きっと、父も祝福してくれると思うので……」

路子の手には、賢吾から受け取った預金通帳が握られていた。

路子と祐介は、数に小さく頭を下げると、肩を並べて店を後にした。

カランコロン

路子たちが帰った後、奥の部屋からミキを抱いた流が現れた。ミキは少しぐずったのか、瞳がぬれている。

直後、ミキがギュッと握りしめた拳を振り上げながら、

「うえええーーーーん」

と、大きな声でぐずりはじめた。

「おっと、ミルクの時間か……」

「あ、じゃ、私が」

「すまん」

数がキッチンに消えると、流はミキをあやしながら、レジ脇に置いてある写真たてを手に取った。写真には笑顔の時田計(けい)が写っている。計は流の妻で、ミキを産んですぐこの世を去った。

それから、季節は巡った。この喫茶店で過去に戻った者もいる。戻れなかった者やルールを聞いて諦めた者も……。

『さよならも言えないうちに』(サンマーク出版)、シリーズ第1作は世界中でベストセラーの『コーヒーが冷めないうちに』。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

「早いもんだ。もう一年になる」

流が計の写っている写真を眺めていると、

「はい」

「サンキュ」

流は写真たてをレジ脇に戻し、数の差し出す哺乳瓶を受け取った。

「あっという間に、こいつも大きくなる。大きくなって……」

「うん」

流の腕の中で、ミキが勢いよくミルクを飲みはじめた。そんなミキの様子を、写真の中の計が幸せそうに眺めている。

そんな風に見えると、数は思った。

川口 俊和 小説家、脚本家、演出家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

かわぐち としかず / Toshikazu Kawaguchi

大阪府茨木市出身。1971年生まれ。舞台『コーヒーが冷めないうちに』第10回杉並演劇祭大賞受賞。同作小説は、本屋大賞2017にノミネートされ、2018年に映画化。川口プロヂュース代表として、舞台、YouTubeで活躍中。47都道府県で舞台『コーヒーが冷めないうちに』を上演するのが目下の夢。趣味は筋トレと旅行、温泉。モットーは「自分らしく生きる」。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事